01 -Shin-

「あの、隣いいですか」

長距離列車は思いのほか混雑していた。
早朝からちらほらと雪の舞う、3月14日。
ノウェンベル駅発、アプリリウス・セントラル駅着の始発便。
ディーゼルエンジンの車両がのっそりと動き出してからようやく見つけた空席には、荷物が置かれていて、仕方なく隣のシートの乗客に声をかけた。
返事は無し。

(……寝てる……?)

目深にキャップを被っていて顔がよくわからないが、窓の縁に頬杖を付いてじっと動かない。
色白のほっそりした手首、デニムに包まれた長い脚。歳は、俺と同じくらいか、ちょっと上に見えた。

「あの」
少し大きな声を出してみると、
「え……?」
大きな緑の目がこちらを見上げる。寝ているわけではなかったらしい。
「ここ、いいですか」
「……ああ、すみません。ちょっとぼーっとしてて……」

(あれ?)

慌てて荷物をどけるそのひとを凝視していると、キャップの下から怪訝そうな視線が返される。
だけど、女のひとだと思った、なんて言う訳にもいかない。
柔らかで艶のある声は、ビロードみたいに耳に心地よく触れたけど、女性だとしたらハスキーボイスだ。

(2つくらい年上かな……)

空けてもらった席に座りながら、ちらちらと隣を盗み見る。
彼(推定)は再びぼんやりと物思いに沈んで、窓の外の白い街を眺めていた。

(……キレーなひと)

睫毛、長い。
メランコリック……なんて表現を使いたくなるような、横顔に惹き付けられる。
もしかして、芸能人とか? モデルさんなのかもしれない。__全体的に細いし、顔ちっさいし。
ただそこにいるだけなのに、パッと人目を惹くようなオーラがあって。

「……音楽、やるの?」

余程、ぶしつけに見蕩れていたのか。
彼は俺のほうに少し顔を向けて、ぎこちなく話しかけてきた。

「え」
「それ、ベース?」
「あ……うん」
膝の間に挟んでいた黒いケースを見下ろす。「結構かさばるし、他の荷物と一緒に送ろっかなって思ったんだけど、やっぱりコイツだけは自分で担いでセントラルに行きたくて」
相手は俺の力説にくすりと笑う。
「気持ちはわかる」
「恋人みたいなもんだから」

しまった、タメ口…(敬語って苦手なんだよな、俺!)

「あの。何歳か、訊いてもいいですか?」
「21。きみは__17歳くらい?」
「惜しい、18!」

訊き返してくれたことに嬉しくなって、思わず身を乗り出す。
彼は少しだけ戸惑った様子で、はにかんだ笑顔を浮かべた。

「__あ、えっと、アンタも音楽やったりするの?」

急いで言葉を継いだのは、それで会話を終わらせたくなかったから。
けど彼は何故か、ぎくりとした顔になった。

「え」
「……え?」

こっちが焦る。
そんな、困らせるような質問をしたはずはないんだけど。

「いや、だって、『ギター?』って訊く人はいても、『ベース?』なんて訊かないでしょ、フツー」
「……ああ」

大げさな手振りで俺が説明すると、彼は警戒するような目をやめた。

「俺の知り合いもベースやってたから、何となくね」
「そうなんだ。__あ、俺、シンっていいます」
「俺は、アスラン。よろしく」

握手しながら、俺は彼の膝の上の小さなスーツケースに目をやった。

「こっちの人じゃないですよね? 旅行帰り?」
「いや……大学の研究の都合でマイウスからセントラルに移ることになって」
「へぇ、マイウスから。じゃあ、夜行で乗り継ぎ?」
「雪で飛行機が飛ばなくて、しかたなく」
「元々向こうが地元なの?」
「出身はディセンベル」
「えっ、まじ? いいなぁ都会。俺なんか、生まれも育ちも、ど田舎のノウェンベルだよ。けど、ディセンベルよりもっとでかいんだろ、セントラルって」
「そうだね。……きみも大学生?」
「ううん、おととい高卒になったばっかり。俺ミュージシャン志望で、受験も就活もしなかったから」

黒いケースを撫でる。
俺の恋人。

「……ミュージシャン?」
「バンドやってるんだ。ロックバンド、こう見えても地元じゃそこそこ有名なんだよ」
ってか、もう過去形だけど。「俺、セントラルでデビューするのが夢で、バイトしまくって上京資金貯めたんだ」
「__でも、音楽をやるならディセンベルの方が……」
「確かに、ディセンベルは北部でいちばん大きな街だし、四大メジャーレーベルのうち3つも本社が集まってるしね。でも俺は、どうしても南海岸のセントラルで成功したいんだ」

そう、どうしても。
力を込めて、俺は言った。

「セントラルには、”天使”がいるから」



02 -Shin-

セントラルには、俺の”天使”がいる。

「……”ソランジュ”?」

アスランはすぐに思い当たったみたいだった。

「そう! 俺、中学から軽音部だったんだけど、1年前に”ソランジュ”の生ライブ見て、本気でミュージシャン目指そうって思って」
「……そう、なんだ」
「正確には俺、"ソランジュ"ってゆーかベースのYzak個人の大ファンなんだ。彼に憧れてるから、どうしてもセントラルで音楽やりたくて」

改めて口に出すと、ちょっと恥ずかしい。
誰かのファンだとか、憧れてるとか、滅多に言ったりしないし。

「勿論、Kiraの演奏もヤバかったけど。それにLacusのナマ歌は圧巻だったよ。しかも、めちゃくちゃ綺麗だし」
「……そうだな。”ソランジュ”のファンって若い女の子が圧倒的に多いものな」
「うん、全体的にルックスもいいバンドだからね」

頷きながら、ちらっとアスランを見る。
でもアンタなら充分張り合える……ってか、ほんとにパンピー(死語)ですか?

「俺も最初は、妹がKiraの大ファンで、ライブに引っ張っていかれてさ。正直それまでは、ミーハー女子にキャーキャー言われてる流行りのバンドなんて敬遠してたんだけど、生で聴いた音が、Yzakの演奏が、もうかっこよすぎて……ど真ん中に刺さっちゃったんだ。今までの人生で、いちばんの衝撃だった。Yzakは……あれは男のが惚れるよ、絶対。見た目もかっこいいけど、それだけじゃなくて……うまく言えないけど、存在に圧倒されるっつーか」
「そう……」
「ホント、三次元にこんな人がいるなんて反則だって思った…」

目を閉じれば、今もまざまざと蘇る、あの感覚。

俺に夢と生きる希望をくれた天使__"ソランジュ"は、首都セントラル・アプリリウスに君臨する4人組のロックバンドだ。
奇跡のような歌唱力を誇るヴォーカリストLacusと、天才ギタリストKiraを中心としたメンバーは、インディーズ時代から着実に知名度を上げ、2年前、セントラルに本社を置くARCHからデビューした。
メジャー1枚目のシングル(Lacusの澄んだ声とヘヴィな演奏の相乗効果が、最ッ高にエモくてカッコいい一曲)は当時流行っていたドラマとタイアップしたこともあって、異例のPV再生回数を記録。"ソランジュ"はあっという間にトップアーティストの仲間入りを果たして、その後も次々とヒット曲を世に送り出した。2周年を迎えた今年2月には、待ちに待った(俺が)ファーストアルバムが発売され、週間売上ランキング首位を独走中だ。

"ソランジュ"の二大看板のLacusとKiraは、今や国民的スターと言われ、コアなロック愛好家にも熱狂的な信奉者を生んでいる。
けれど、"ソランジュ"が前人未到の快進撃を続けるのは、バンドのリーダーでプロデューサーでもあるYzakの編曲のセンスと、ビジネスの手腕に依るところが大きいと言われていた。

あの運命の日。
2時間半に及ぶライブの間、俺の目はステージでベースを弾くYzakに釘付けだった。
長身の、すらりとした体躯。
白皙の美貌はまるで冷酷な"touch-me-not"、『私に触れるな』
さながら切れ味のいい刃物だ。
彼の指先から生まれる音が、灼熱の青い光となって、会場を焼き尽くさんばかりにほとばしる。
快感と焦燥が、俺の背筋をゾクゾクゾクッと駆け抜けた。

あのスリル。
そして霊感__。
魂を揺すぶられるという感覚。

知らずと涙が溢れた。
ああ俺も、彼のように命を燃やせたら……!

Yzakの光を集めた銀髪が、身体を揺らすたびにさらりと音を立てるのさえ聞こえそうなくらいに。
俺は、彼の一挙一動に目を奪われ、血流に乗って全身を巡る音に酔い痴れながら__
ほとんど、恋に堕ちていた、と思う。

「Yzakの音楽に対するストイックさも好きなんだ。あれだけヒットを飛ばしてるのに、ずっと変わらずサウンドに妥協も媚びも無くって。アルバムバージョンのアレンジも一切手を抜いてない感じで、シングルであれだけ聴き込んでた曲なのに、新曲かよって鳥肌が立った。演奏も、世間ではギターのKiraの神テクニックばかり目立ってるけど、俺的には、セカンドシングルのアルバムバージョンでYzakがスラップを入れてて、それが爆速で超カッコよくて、絶対耳コピしたいって思って……」

長距離列車で、たまたま隣り合っただけの彼を相手に喋りまくってしまったのは、きっと興奮していたせいだ。
やっと、セントラルに行くことができる喜び。
憧れの”ソランジュ”に、一歩近づくのだという高揚。
……それから、マシンガンのように続く俺の話を、ただ黙って、微笑んで聴いてくれたアスランのせい。

俺はセントラルまで4時間の長旅の間、初対面の彼に延々と、”ソランジュ”について熱く語って聞かせたのだった。



03 -Athrun-

「こんちは、アスランいますか!!」

休憩スペースでコーヒーのお代わりを入れていたら、やけに元気な声がした。
この研究所はドローンでの実験等も行うためそれなりの面積と高さがあるが、フリーアドレスで壁やパーテーションが全く無い。
エントランスの辺りで、黒髪のひょろっとした少年が学生と立ち話をしていた。すっかり打ち解けた様子に呆れつつ、俺は声をかけた。

「いつも言ってるけど、ラボ内は『関係者以外立入禁止』だぞ」

もちろんIDカードがないと入ってこれないのだが、ラボの人間はシンが俺を『迎えに来る』のに慣れっこになっていて、誰かしらが中へ入れてしまう。
それなりに高額な備品や機密情報だって扱ってるのに、ここのセキュリティは大丈夫なんだろうか…。

「アスラン、もう出れる?」
シンは俺を見つけると、嬉しそうに寄ってくる。「どっか食べに行かない?」
「悪いけど今日はパスだ。論文の準備で遅くなると思う」

作業中のデスクに戻って、立ったまま作業を再開した。
……今日のコーヒーはやけに苦いな。
ちょっと眉をしかめていたら、デスクの反対側からシンが言った。

「ねぇ、それ、どうしても今日じゃなきゃダメなの? すごいニュースがあるのに」
「ニュース?」

世の中には、俺みたいな愛想の欠片もないのに限って好奇心を抱く人間が、一定数存在するらしい。

そもそも初めは、セントラル行きの列車で、たまたま席が隣り合っただけの関係だった。
大雪のせいでマイウスから飛行機が飛ばず、気まぐれにノウェンベル行きの夜行バスに乗ったのが、運の尽きだったのかもしれない。
それとも、早朝のノウェンベル駅で乗り合わせた、きらきらした瞳の少年に、つい話しかけてしまったときか。
セントラル駅で別れたあとも、シンはメール(うっかりアドレスを教えてしまった)で頻繁に連絡を寄こし、最近では大学内にも現れるようになった。
どうやら、すっかり懐かれてしまったらしい。(捨て犬を拾ったような気分だ。犬種は、黒のポメラニアンかな。)

シン・アスカ。
プロのミュージシャンを志し、高校卒業と共に田舎を飛び出して上京した、夢見る少年だ。
小さいときに両親を亡くして叔父夫婦に引き取られ、色々と苦労があったらしい。そんなとき、音楽が彼の生きる支えになった。
中学の部活仲間とロックバンド"インパルス"を結成し、ベースを弾いていた。シン曰く作詞作曲やヴォーカルもこなし、高校生の頃はライブハウスに出演するなど、『そこそこ名の知れた』バンドだったそうだ。
けれど高校3年生の2学期末に"インパルス"は解散した。メンバー4人のうち1人は進学して2人はセントラルで就職し、結局、音楽の道を選んだのはシンだけだった。
上京した今は、昼間にがっつりアルバイトをして、夜はライブハウスを巡ったり、作曲やベースの練習に時間を費やしている。多少の蓄えはあるそうだが、都会暮らしは何かと費用がかかるので、安くていい物件が見つかるまで妹のアパートに居候中。(妹は1つ歳下で、セントラルの服飾専門学校に通っている。)

俺が訊いてもいないのにシンが喋った身の上話を要約すると、こんなところだ。
俺は余り他人に自分の話ができないから、訊いてもいないことを自分から喋ってくれる人が嫌いじゃないのかもしれない。
もともと犬は好きだし、最近では情も沸いてきたし……つまり俺は、けっこうシンのことを気に入っているんだと思う。(調子に乗りそうだから、本人には内緒だ。)
__ただひとつ、問題といえば問題なのは。

「”ソランジュ”がテレビに出るんだって! 今夜8時の歌番に、しかも生で!」
「へぇ」

誰が予想できただろうか。
汽車の中で偶然隣に座った相手が”ソランジュ”の__それも”彼”の大ファンだなんて。
もちろん、セントラル行きが決まったときから、”彼ら”を目にする機会が増えるかもしれないと覚悟はしていたけど。

(こういうのも、運命っていうのか……?)

げんなりした俺の前で、「『へぇ』って、それだけかよ?」とシンが不満げな顔をする。

「”ソランジュ”って滅多に生放送なんか出てくれないのに。つーかテレビに出ること自体が貴重」
「そうなのか?」

一瞬ビックリしたけど、いかにも"アイツ"らしいと思い直す。
どうせプロになるならメジャーでやっていく決意は揺るがないが、できることなら純粋に音楽性で評価されたいと常々言っていたし。

「何かアスラン、温度低くない?」
「だって俺は”ソランジュ”のファンじゃないし」
「ええっ、だってLacusの歌、好きって言ってたじゃん!」
「好きって言うか……凄い、とは思うよ。実際上手いし、声も綺麗だし」

上滑りする自分の言葉。なんとも居心地が悪く、後ろめたかった。

「ってことは、アスランって”ソランジュ”のライブに行ったことも無いよな?」
「無いけど…(今のメンバーになってからは)」
「じゃあ、楽しみだな、今度。アスランだって生演奏聴いたら絶対ハマるよ」

……危なかった。
手が滑ってPCにコーヒーをぶちまけるところだった。

「……ちょっと、待て。今度って、何のことだ」
「あれ、言ってなかったっけ。セントラル・ホールで、2周年ツアーのファイナルライブがあるんだ。俺の妹が抽選で当たったのに当日どうしても行けなくなったから、チケット2枚譲ってくれるって」
「……」

いや、全然、聞いてない。

「……それで、どうして俺がおまえと行くことになるんだ?」
「だって、他に誘える友達がいないし。来月の18日だから、空けといてね」

眩暈がする。
来月……5月18日? って確か、キラの誕生日……だけど、そうじゃなくて。

「……こっちに同郷の元音楽仲間がいるだろ?」
「いるけど、今はヨウランは地下アイドル系一筋で、ヴィーノはアニソン専門だもん」
「彼女とか、いないのか?」

脱力感を覚えつつ尋ねると、膨れっ面を返された。

「いたらこんなとこ来てないって」
「じゃあ来月までに作れ」
「……そんなに行きたくないの?」
「……」

行きたいか行きたくないかと訊かれれば、当然、すごく行きたくないが。
しょんぼり耳と尻尾を垂れている(ように見える)シンを見ていると、断るのが不憫になってしまった。

(しょうがないな……)

まぁ、セントラル・ホールと言えば、収容人数もかなりのものだし。一万人以上の聴衆の中に俺が混じっていたって、ステージの上からわかるはずない。
"彼"に見つからなければいいというわけでもなかったけど、情にほだされたせいで、変に自分を納得させてしまった。

「……5月18日だな。わかった」
シンの顔がぱぁっと明るくなる。
それが可笑しい反面、どんな感情も正直に表に出せる彼が、少し羨ましかった。



04 -Shin-

「最近、変なんだよな」
「シン、おまえは前からずっと変だぜ?」

ヨウランはすかさず茶々を入れてきた。
引っ越し屋のバイト上がりに、同郷の友達のアパートに上がり込んで、ダラダラ過ごしていたときだ。

「だいたいおまえ、中学んときから高校出たら就職するっつってたじゃん」 と、ヨウランは呆れ口調だった。「それが高2の冬になって急にプロのミュージシャン目指す宣言して、先公らを唖然とさせてさ。バイト三昧で高いベースは買うわ、単位ぎりぎりで卒業してソッコーでセントラルに行っちゃうわ。しかも、こっちで就職決まってた俺らより早く」
「しょーがないじゃん、丸々1年ガマンしてたんだから」
「ま、堪え性の無いおまえにしちゃ、よく辛抱したよな。高校中退するとか言い出したらどう止めようか、俺もヴィーノも真剣に悩んだんだぞ。マユちゃんも大変だよなー、たったひとり血の繋がった兄貴がこんなので…」
「妹は俺のこと昔から応援してくれてるし。……けどいい加減、住むとこ決めないとなー」

するとヨウランの目がきらっと光った。

「とうとう切れたか、マユちゃん」
「……そこまでは……けど最近口数が少なくなったような気がする」

この頃、俺が何か言っても返事しないことが多い。
昨日も、腹減ったって言ったら無視されたし。

「そりゃーなぁ、せっかく都会の一人暮らしを満喫してたのに、過保護な兄貴に居座られたらマユちゃんも堪ったもんじゃないよな。男のひとりも連れ込めねーし」
「お、オトコって……俺はマユをそんなふしだらな娘に育てた覚えはありません!」

真っ青になって主張したら、ヨウランは温い視線を返した。

「金無いわけじゃないんだろ? バイトだってしてるんだし、さっさと安い物件見つけろよ」

それはもっともな意見ではあるんだけど。
家探しのことを考えると急にやる気が無くなってきて、ローテーブルに顎を乗っけた。

「……家賃がこんなに高いとは思わなかったなぁ。ノウェンベルの倍だよ、倍。水道やガス代もかかるし」
「ちょっとくらい里親に援助頼めないの?」
「いや、それだけは絶対しないって決めてるから。従兄弟の養育費も大変なのに、マユの学費と生活費の仕送りしてもらってるだけでも、充分ありがたいし」
「だったら尚更さー、やっぱり寮付きの会社とかに就職して働きながらプロを目指せばよかったんじゃないのか?」
「それだとバンド活動に専念できないんだよ」
「まあなー。俺なんか平日は何もする気になんねーよ。やっぱマジメに勉強して大学行っときゃよかったかな」

地下アイドルのグッズが溢れた狭い部屋で、ヨウランはベッドにもたれ掛かって天井を見上げる。

(大学か……)

早くに両親を失くして親戚の家へ引き取られた俺は、自分の人生にそんな選択肢があると考えたこともなかった。

「……さっきの話だけどさ」
「どの?」
「最近変だって話。おかしいんだよな。音楽のことで頭いっぱいだったはずなのに、気がついたらそのひとのことばっか考えちゃっててさ」
「そりゃ変じゃなくて、恋だな。まーたYzakか? おまえの初恋の」

は、初恋って……。

「違うってば。現実に、会えるひとのことだよっ」
「まぁおまえ、昔から惚れっぽいからなー。どんな子なんだ? ライブハウスで知り合ったのか? それともバイト先で?」
「ううん。ほら、前に話したろ。……アスランってひと」
「ああ。列車で隣に座ったがためにおまえの”ソランジュ”トークに4時間も付き合わされる羽目になった気の毒な年上の美形のことか。確か、超一流工科大の学生………ってそれ、男じゃなかったっけ!?」
「え、男だよ」
「…………いきなりカミングアウトかよ?」
「……やっぱ恋じゃなくて変だよな?」

ちょっと真剣に悩んでるんですけど。

「……いや、でもホラ、おまえって年上のカッコいい同性に異常に強く憧れるタイプだし。……Yzakとか! だからきっとコレもそうなんだよ!」

気にするな、と何処かぎこちない笑顔で慰められたのが、昨日のことだ。

(……余計、気になるって)

夕飯時を過ぎて殆どの学生は帰ってしまって、窓の外も暗くなっていた。
俺は休憩スペースのソファーで待たせてもらいながら、”ソランジュ”のアルバムを聴いている。
もうすぐYzakの出る番組が始まってしまう……。
妹に録画は頼んであるけど、貴重な生番組だ。
以前の俺なら、リアルタイムで観るためにすっ飛んで帰ったはずなのに。

(何やってるんだろう、俺)

アスランは少し離れた場所で、まだ忙しそうにしている。
初めて遊びに来たとき一度説明してもらったけど、何か、バイオハイブリッド…?とか、生態模倣?とか、とにかくそういう凄いロボットの研究をしてるらしい。
ここで会った人たちは皆、アスランのことを『天才』と言う。
マイウスでの研究報告が世界最高峰の学術雑誌に載ったのをきっかけに、その分野の第一人者がいるこの研究所に誘われたそうだ。
俺には専門的なことは理解できないけど、アスランがめちゃくちゃ勉強ができるタイプってことくらいは、普段の様子から想像できた。
たとえば、忍耐強くて要領が良いとことか、物静かで論理的に物事を考えるとことか。
……あと、非論理的で数値化できないコトには鈍感そうなとこも。

(そういえば、彼女いないのかとか、訊いたことなかったな……)

だって、訊くまでもなさそうだもん。
別に異性が苦手ってわけじゃなさそうだけど。
それどころか紳士的で、頭が良くて綺麗な顔で、さぞかし女性にモテるんだろうなと思う。
でも、少なくとも今はそういう方面にエネルギーを使う気が一切無さげ、っていうか。
大学の女の子たちの思わせぶりな態度も、完全スルーしてるし。

(そりゃ、あんな先輩と一緒だったら勉強も楽しいよなー……)

羨ましい、とぼんやり思いつつアスランの白衣姿に見蕩れていたら、ふいに視界が遮られた。

「どうかな、シンくん。僕の新作ブレンドのお味は」

ひょっこり現れたのは、Dr.アンディ・バルトフェルド。
まだ若く見えるけど、この研究所の責任者の教授で、アスランをチームに誘った人だ。
大のコーヒー好きで、自宅の焙煎機でオリジナルブレンドを作ってきては学生に試飲させている。
俺もコーヒーにはかなり拘りがあるので、これはラッキーな偶然だった。
学生たちの代わりに教授の趣味に付き合えるおかげで、ここでは顔パスというわけだ。

「あ、はい、美味しいッす。苦みが強いけどナッツみたいなフレーバーで、ミルクチョコレートに合いそうですよね」
「そうそう、そうなんだよ。今日はフレンチローストにしてみたんだけどね。わかってくれて嬉しいよ。ここの連中ときたら、インスタントと水出しの違いも気にしない子たちばっかりでさぁ」

上機嫌な教授の様子を見ていて、俺はふと思いついて壁の時計を見た。

「あのー、教授」
「なんだい?」
「このテレビ、つけてもいいですか?」

休憩スペースにはけっこう大きなサイズのTVが置かれていた。
全体的にお洒落なインテリアだし、随分とお金がある研究所みたいだ。

「どうぞどうぞ。もう皆帰っちゃったし、アスランくんは集中モードになると火災警報が鳴っても聞こえないから」
「……それは一人にしとくの危ないんじゃ…」
「ハハハ。でも今夜は、きみっていうナイトがついてるから安心だな」

茶目っ気たっぷりのウィンクを残し、教授は奥の自席へ戻っていった。

(『ナイト』……)

いや、照れている場合じゃなかった。
我に返ってテレビをつけ、急いでチャンネルを合わせる。

《__デビュー3年目を迎えられるにあたり、今後の抱負などあれば教えていただけますか》
《特別なことは何もありませんが、変化を恐れず挑戦する姿勢が大事だと思っています》

ちょうど、Yzakがマイクを手に答えているところだった。