突然、外界から意識に割って入ってきた声。
ハッとして顔を上げると、休憩スペースのTVが点いていて、アップで映っていたのは__
(……イザーク)
変な呼吸をしたせいで、胸が鋭く痛んだ。
画面越しとはいえ、動いて喋っているアイツの姿を見るのは2年ぶりだ。
《デビュー2周年を節目に発売されたファーストアルバムも大好評ですね!》
《ありがとうございます》
「え、"ソランジュ"?」
「ホントだ。TVに出るなんて珍しい」
帰り支度をしていた学生の女の子2人が、足を止める。
「何て言ったっけ、あの、顔が整いすぎててちょっと怖い人。Kiraじゃないほう」
「Yzakよー。喋ってるとこ初めて見たかも」
「私シングル全部DLしてたのにアルバムも買っちゃったの。特典のポスター欲しさだったんだけど、未発表の曲も結構良くってね」
「きれいだなー、Lacus! お人形さんみたい。私も生まれ変わったらああいう顔と胸が欲しい」
すぐそばで彼女たちが話し続けているのに、俺の聴覚はイザークの声ばかりを拾う。
何とか手元のPCに目を戻したものの、金縛りに逢ったように動けない。
……眩暈がする。
急に立っているのが辛くなって、デスクに置いた手に力を込めた。
(……ちょっと痩せたけど、元気そう、かな……。機嫌が悪いのは、置いといて)
よそよそしく一線を引いた口調は素っ気なく、表情筋が殆ど動かない。
これはこれで、クールなキャラクターとして罷り通っているのかもしれないが。
彼の本性を知っている人間なら、司会者の女性の質問に嫌々答えているのが丸わかりだ。
イザークは俺と同じで、余りテレビを観ない類いの人間だった。
セントラルで彼と暮らしていた部屋にも一応小さいテレビはあったけど、殆んど点けたことがなかった。
生放送で、演奏前のトークなんて、さぞ苦痛だろう。
ただでさえ完璧主義だし、人の好き嫌いが激しいし。
それでもアイツはアイツなりに、あちらの世界で頑張っているようだ。
出会った頃と少しも変わらない、真っ直ぐな目で。
己の信じる道を。
(……よかった)
彼の活躍を見られるのは、嬉しい。
街で見かけるMVや、雑誌やポスターの中の彼を見ても、まるで別人のようで余り実感がなかったが、今、あのモニターに映っている男は__ちょっとした仕草や、表情の動き、それに何よりも、声で。
ああ、イザークなんだな……と、納得できた。
たった2年で、もうあんな遠いところまで行ってしまうなんて、たいしたヤツだと思う。
(俺は間違ってなかった)
だから言っただろう? "俺じゃなくても"、おまえは大丈夫だって。
おまえは、光を浴びる場所にいるべきだって。
結局、俺たちは最初から、生きる世界が違ったんだから。
__『本気でそう思ってるのか……?』
おまえが見せた寂しい目を思い出すと、今でも泣きたくなるけれど。
それでも、あのときの選択は正しかったのだ。
《Lacusさん、2周年を迎えられて、今はどんなお気持ちですか?》
《はい、もう2年も経つなんてびっくりです。支えてくれたファンや、スタッフの皆に本当に感謝しています》
カメラがミーア(彼女だけは、本名でない芸名を使っている)のアップから切り替わり、”ソランジュ”のメンバーを全員映し出す。
司会者に近い方から、イザーク、ミーア、キラ、シホ。
(キラ……また耳のピアスが増えたんじゃないか?)
シホは、男性組と同じ黒のパンツスーツ姿。
ミーアは、淡い水色のロングドレスに身を包んでいる。
腰まで届く髪は、綿菓子のような淡いストロベリーブロンド。まるで陶器のレース人形みたいだ。
俺の知っているミーアはもう少しひょうきんというか、茶目っ気のある印象だったが、『国民的スター』になり切っているのか、司会者の質問にも落ち着いた調子で答えている。
まばゆいばかりの歌姫を、隣で見守るイザーク。
彼のシャツの襟の間には、少し変わった形の、銀のペンダントトップが覗いていた。
まずいんじゃないのか?
人気商売なんだろうに、ゴールデンタイムの生番組で、ペア物とわかるペンダントは。
少し気分が悪くなってくる。
この数分間だけで気持ちが乱高下して、ジェットコースターにでも乗ってるみたいだ。
(……しっかりしなきゃ)
たとえイザークが、何ひとつ変わっていないとしても__俺にはもう関係ないことだ。
でも、彼とのたった一つの約束だから。
やがて流れ出したストリングスのイントロに、耳を傾けた。
"March winds bring your voice
April showers remind me of your touch"
(きれいな曲、だな…)
以前、キラがこんなことを言っていた。
『もし音楽の神様が、ミーアに歌うための声を与えたのなら、イザークは、神様が彼女に与えたもうひとつの贈り物だ』
俺も本当にそう思う。
どちらか一方が欠けていたら、"ソランジュ"の今の栄光は無かっただろう。
__"They say everyone is alone
But still I can't help looking for someone
How fragile and helpless"
『ねぇ、アスラン』
だけどキラはこうも言った。
『その神様は、何て残酷な気まぐれを起こしたんだろうね』
"When May flowers bloom, let me love you again
'Cause all I want is you
When May flowers're gone, let me hold you tight
'Cause all I dream is you"
逃げるようにマイウスへ行って以来、この歌声を聴くことができなかった。
__『これからもずっと見ている』と約束したのに。
聴けば、すべてが昨日の出来事のようにリアルな手触りで、蘇ってくるから。
何も変わっていないのは自分のほうだと、思い知らされるのが怖くて。
(イザーク)
まるでシーシュポスの呪いだ。
罪を犯した彼へ与えられた罰は、重い岩を山の上へ運び上げること。
俺が2年の歳月を費やして、やっとの思いで積み上げてきたものを、彼女の歌は一瞬で無にしてしまう。
イザークは俺を恨んでいるかもしれない。
あんなふうに逃げ出して、憎まれたって仕方がない。
__それでも、本当に卑怯だけど、彼が俺を忘れてしまうことのほうがずっと辛いと思っている自分に、気づいてしまった。
「頼むよイザーク!」
本番を終えて控え室に引き上げると、アーサーの情けない声に迎えられた。
「まったく、おまえってやつは……本番中ずっとムスーっとしてただろ! おまけに、一目でペア物とわかるペンダントなんか付けて、グラディス社長が何て言うか!」
「……」
嘆くマネージャーの前を素通りして、ソファに腰を下ろす。
「あー、疲れたぁ」
隣ではキラがうつ伏せに伸びている。「もう当分、生番組はコリゴリだよ」
「お疲れ様でした! 皆さん、すごく良かったですよ」
アビーがメンバーにウーロン茶を配る。
「あれぇ? おかしいなぁ、ここに置いといたんだけどぉ…」
ミーアはドレスのまま、テーブルの傍をうろうろとしている。
俺が口を開く前に、シホがソファの上のピンクのケースを取り上げた。
「これのこと?」
「あっ、さすがシホ。ありがとー、失くしたかと思っちゃった」
上機嫌でスマホを受け取るミーアに、キラが呆れ声を出す。
「そんなゴテゴテしたケース、どうやったら失くすのさ……てか、また変えたんだ?」
「そうなの、ファンから貰ったお気に入り。可愛いでしょ?」
「へえ、ミーアのファンってこんなのくれるんだ。僕なんかぬいぐるみばっかなのに。困るんだよね、あんなの貰ってもさ。『私の代わりに抱いて寝て』ってこと? 引くんですけど」
「出たー、黒キラ様」
「だってどうしろって言うの、貰ったモノぜんぶ部屋に飾ればいいわけ? 寝る場所も無くなっちゃうよ」
「ミーア、着替え行くわよ」
「はぁい。……ねぇ、シホってスーツも似合うけど、一度くらいあたしとお揃いのドレスにしない?」
「遠慮します」
「えー、どうして?」
ふたりがアビーを伴って控え室を出て行ってから、キラが肩を竦めて言った。
「今日も絶好調だね、ウチのお姫様は」
いろいろ突っ込みたいことはあるが、疲れているので返事はしない。(どうしてウチのバンドは口を開くとバカっぽくなるんだ?)
「おーい、 ちょっとは俺の話も聞いてくれよイザークー!」
どいつもコイツも、ごちゃごちゃと煩い。
「情けない声を出すな、アーサー! 別に騒ぐほどのことじゃないだろう。俺は既婚者でもアイドルでもない。たとえ特定のパートナーがいたとしても、何の問題も無いだろうが!」
「いや、問題無いわけないだろう? Kiraほどじゃないにしても、おまえにだってファンが大勢…」
「この程度で離れるのはどうせ見てくれ重視のミーハーな連中だ。キャーキャー騒ぐこと自体が目的で、対象が俺たちの曲である必然性はねえんだよ。……俺はいま疲れてて冷静な判断力が無いに等しいが、この後まだ一本仕事があったよな。貴様が無理やりねじ込んだ雑誌の取材が。音楽に関係ないことばかり訊いてくる記者を俺が怒鳴りつけないように、せいぜいその調子で見張ってろ!」
青褪めたマネージャーは、それきりピタリと口をつぐんだ。
(ちっ…)
何だか無性に苛々する!
「でも前から思ってたけど、変わったペンダントだよね。それ」
その場の空気を意に介さないキラが、ウーロン茶を片手に呑気に覗き込んできた。
「板チョコレートを半分こに割った形? ……でも何でチョコ? きみ、甘いもの苦手じゃなかった?」
「貴様に関係ない」
素っ気無く返すと、キラはじっとりした目で見てくる。
「てゆーかどーせ、もう片方を持ってるのはアスランなんでしょ? バレバレなんだよね、きみたちって昔からさぁ」
言いがかりだ。昔から、別に何も隠してない。(付き合い始めた頃は、アイツは他人に知られるのを嫌がっていたが。)
面倒くさいので黙っていると、キラは身を乗り出して、断りも無く鎖に指を引っ掛けてきた。
「げ、よく見るとブランド物じゃん。しかも高そう。もしかして限定品?」
「触るな」
「いいじゃないか、ちょっとくらい。ケチ」
ぶつぶつ言うキラを無視して、テーブルに放ってあった自分のスマホを取り上げた。
まったく忌々しい文明の道具だと思う。
コイツのおかげでいつ何時も仕事に追い回されるし、いちばん連絡を取りたいヤツに限って繋がったためしが無い……!
着信が2件、新着のテキストメッセージが11件。
いちいち開封する気にもならずに差出人の名前だけ確認していったが、
(ミゲル……?)
仕事関係の人間ばかりの中に、珍しい名前が紛れ込んでいた。
「なに? 社長がまた何か言ってきた?」
いちいち煩いキラが訊く。
「……ミゲルだ」
「えっ、ズルイ!! 何で僕には連絡無いの?」
最近連絡を取っていなかったが、いったい何の用だろう。
何となく躊躇していると、横から手が伸びてきた。
「隙アリ!」
「あ、貴様!」
俺のスマホを取り上げたキラが、鼻歌交じりにメールを開く。
「わ、ほんとにミゲルだ。『TV観たよ。相変わらず顔怖いな、おまえ』。ははっ、ホントにね」
「勝手に読むな!」
「いいからいいから。ええっと、『こないだ仕事の帰りに、偶然スティングに会った』。……へぇ、スティングもセントラルに出てきてるんだって」
聞き覚えのある名だった。
ディセンベルのライブハウスで、顔馴染みだったバンドのドラマーだ。
そういえばあのバンドはどうなったのだろうか。
アマチュアにしておくには惜しい腕だったが。
「イザーク!」
キラが唐突に大声を出したので、俺は回想を中断した。
「何だ。ミゲルのヤツ、何て言ってきた?」
「……」
「キラ?」
様子がおかしい。
何でそんな顔をして俺を見るんだ?
「寄越せ」
じれったくなって、呆然としているキラから、スマホを取り戻そうとした。
「__アスランが戻って来てる…」
キラの言葉が一瞬、理解できなかった。
「……な……」
「アスランが、セントラルに戻って来たんだよ。イザーク!」