アスランを待つ間、部屋の内装やら、窓から見えるアッパータウンの景色やらの写真を撮りまくって、とりあえずマユに住所と一緒に送っておいた。
ヴィーノとヨウランにもメールした。
そしてやることが無くなったので、作りかけの曲でも書こうかと、ベッドの上でスコアを広げた俺だったが。
(変だな…)
かれこれ40分以上は経過しているのに、アスランがバスルームから出てくる気配が、無い。
シャワーを浴びるだけにしては長すぎる。
気が変わって湯に浸かってるんだろうかとも思ったが、一応確認のため洗面所のドアを開けたら、風呂場からはシャワーの水音がしていた。
「……うーん」
さすがに、だんだん心配になってくる。
「おーいアスラン…? 大丈夫?」
風呂場に近づき、遠慮がちに声をかけてみた。しかし返事はなく、聞こえるのはザーザーと水が流れる音だけ。
(まさか滑って転んで頭でも打ったんじゃ…)
そうだ、男同士なんだし、ちょっと確かめるくらい_
「どうかなさいましたか? サー」
いつ入ってきたのか、あの金髪碧眼のボディーガードが俺の部屋からこっちを見ていた。
まるで覗きの現場をおさえられたような、微妙な空気が流れる。
「……シンでいいよ」
「これからアレクサンダー様に朝食をお出ししますが、シンもご一緒にいかがですか」
アレクサンダー様?
ああ、アスランのことか。
そう言えば、今日は朝から牛乳しか腹に入れてない。
「じゃあお言葉に甘えて……ってか、敬語も要らないって」
彼はちょっと考えたあとに、こう訊いた。
「シンはブレックファストかアールグレイか、どっちがいい?」
「あー、俺あんまり紅茶にはこだわり無くて。それよりさ、何か、アスランが全然シャワーから出てこないんだけど。いつもこうなの?」
するとレイは初めて表情を動かし(ちゃんと動くんだと俺は思った)、『それを早く言え』という態度でやって来て、脱衣所のドアを全開にした。
大きくなる水音。
「アレクサンダー様、失礼します」
レイはおもむろに中に入っていく。
ガラス張りの仕切りの向こうに、大きなバスタブが見えた。そしてその中に座り込んでいるアスランの痩せた背中が。
(え……)
俺が状況を呑み込めないでいるあいだに、レイは頭上から降り注ぐシャワーを止めて靴のままバスタブの縁を乗り越えた。
「シン、何か拭くものを」
「…あ、はい」
俺はあたふたと見回し、棚からバスタオルを取ってレイに手渡した。
アスランは怪我はなさそうだったけど、ぼんやりしたままで様子が変だった。
レイが慌てず騒がず、アスランの体をタオルでくるむ。俺は恐る恐るそばに寄って声をかけた。
「…やっぱ、頭打ったのかな。救急車、呼ぶ?」
「いや、これはおそらく必要ないやつだ。…しっかりしてください、アレクサンダー様。__アスラン!」
そしてレイはちょっと乱暴に、両手でアスランの頬を挟んでぺちぺち叩き始めた。
「…痛い」
やっとアスランが反応して、俺はいつの間にか止めていた息を一気に吐き出す。
「アスラン! 何かわかんないけど戻ってよかった…」
「…ィザ_」
アスランは何か言いかけて目を上げ、レイを不審そうに見た。
「……誰?」
「殴りますよ」
「…まぁいいか、おまえでも」
アスランはレイの手を取って、自分の両耳を塞ぐように持っていった。「少しだけこうしていてくれ」
レイは無表情のまま、アスランのしたいようにさせる。
「…冷たい」
「落ち着きましたか」
うん、とアスランは意外なほど素直にうなずいた。「大丈夫……静かになった」
「アレクサンダー様、また薬を飲むのを忘れたんですね。いま出されているぶんを全部こちらに渡してください。今後は俺が管理します」
「その呼びかた、やめろ」
「とりあえずここから出て、服を着て。動けますか」
「無理……いま糖分が圧倒的に足りないから。…チョコレート・カバード・ストロベリーが食べたい。…あと、トーストはマーマレードとバター多めで…」
「さっきは日本食の気分と仰っていたでしょう。今朝のメニューは豆腐サンドと味噌スープ、海藻のサラダです」
(……話に入りにくいなー)
猫脚のバスタブの中で、見目の良い男ふたりが向かい合って、しかも片方はほぼ全裸で。
イマイチ噛み合わない話が交わされる間、俺は辛抱強く待ち続けた。
***
結局レイはアスランのために朝食(というより既にブランチという時間帯だったが)を作り直した。
均等にきつね色に焼けた三角形のトースト、ふわとろのオムレツにかりっかりのベーコン、ベイクドビーンズ、アップルソースがけのブラッドソーセージ、などなど、それはもう、味も見た目も文句のつけようのない朝食を。
「何このマーマレード、めっちゃ美味しい!」
「……やっぱり日本食がよかったな」
いちいち感動している俺の斜向かいで、アスランはそう言って紅茶を飲む。
10人くらい座れそうな白いダイニングテーブルの隅に、アスランと俺は座っていた。(あのステラって子は、いつも自分の部屋で食べるそうだ。)
レイはアスランの独りごとをスルーして、俺に訊いた。
「シン、コーヒーのお代わりはどうする?」
「うん。ありがと。じゃあもう一杯もらう」
レイは一緒に食卓にはつかず、俺にまで朝食をサーブしてくれる。(居候どころか、コック兼執事にもなるスーパーボディガードだ。)
ミゲルが置いていった監視役だからか、他に理由があるのか、アスランはレイのことが気に入らないみたいだった。
そもそも、普段のアスランは食べ物の好き嫌い以前に、食べること自体にあまり興味が無いらしく、味やメニューに頓着しないほうだ。
わざと横柄に振る舞って、レイを早く追い払おうという魂胆なのかもしれないけど、敵はなかなか手強そうだった。
「さっきは悪かったな、シン」
アスランはフォークとナイフでオムレツを切り分けつつ、俺に話しかけた。「来て早々に、びっくりしただろ」
「あ、うん。まぁ」
確かに、このペントハウスの一癖もふた癖もある住人たちに、さっそく洗礼を受けた感はあった。
「アスラン、大丈夫なの? 病院とか行かなくて」
「そんな大げさなことじゃないんだ。子どもの頃からしょっちゅうだから、俺の周りの人間は慣れてるし」
などと、アスランは至って楽観的に言う。
「しょっちゅうって…危なくない? 今日は俺たちがすぐ気づいたから良かったけど」
「車を運転してるときとか、気を張ってるときは大丈夫なんだ。でも何て言うか……ほら、シャワーを浴びたり、洗い物をしたりしてると、頭が暇になるだろう? そういうときに限って、すごいアイデアがどんどん流れてきたりするじゃないか。__言ってる意味、わかるか?」
「うん、わかる気がする。俺、いいフレーズが浮かぶのって大抵、湯船に浸かってるときなんだよな」
そう、とアスランは何だか嬉しそうに頷いた。「俺は、その現象が他人より極端で__気を抜くと思考に溺れるっていうか…シンの場合に置き換えると、そうだな、最高にテンションの上がるフレーズが100曲浮かんで脳内同時再生される感じだ」
「…うん、ちょっとレベルが違いすぎてピンとこないけど、それはもうノイズでしかないだろうね。……ああ、それでさっき、『静かになった』って言ってたんだ?」
「まぁ、今のはたとえ話で、シンと違って俺のは音楽的なインスピレーションってわけじゃないけど」
「…でも…」
アンタは“ソランジュ”の__あんな天才集団の一員だったじゃないか。
「でも……楽器弾けるんだろ。部屋にもあんなでかいピアノが」
「ああ。煮詰まったときの気分転換にいいんだ。でも譜面どおりに弾くだけだよ」
アスランはオムレツをきれいに食べ終え、ナプキンをテーブルに置いた。「__俺はあくまでもエンジニアだから。“ソランジュ”に誘われたのも、元はと言えば俺の他にシンセサイザーとかエフェクトユニットとか、電子機器を使いこなせるやつがいなかったってだけで」
(……ん?)
「実家のガレージで母の_というか元々は祖父のだけど_大量のレコードとシンセを見つけたのがきっかけで、たまたま高1の頃、シューゲイジングとかドリームポップ系にハマってたんだ。で、クラスメイトだったキラと意気投合して、色々サンプリングして素材作って遊んでたら、イザークが使いたいって言い出して…」
「…いや、ちょっと待って、ストップ!!」
早い早い、展開が早い!
俺の焦りようを見たアスランは怪訝そうな顔をした。「……“ソランジュ”のことを聴きたいのかと思ったけど、違ってたか?」
「違わないです。でも俺、まだその辺のアンタの事情を知らないことになってんだけど…」
どうして、いきなり、何故に今?
何からどうやってこの話を切り出そうか、こっちは昨日寝ないで悩んだのに!
おかしいな、とアスランは首を捻る。「ルナマリアから聞いてないか? 昨日の夜遅くに、彼女が俺に電話してきて」
「ルナが、電話!? 何で?」
「俺の父親がパトリック・ザラってことや、俺がKiraの高校の同級生で“ソランジュ”にも一時期関わってたことを彼女が突き止めて、つい軽い気持ちでおまえに話したら、おまえがすごくショックを受けたみたいだって、気にしていた」
「…そ、そうなんだ」
俺はレイがテーブルに置いてくれたコーヒーに手を伸ばす。
よし、いったん落ち着こう。
昨日はルナの電話をどうやって切ったんだっけ?
「もしかして」
怪しむような目で俺を観察していたアスランが、そのときレイに向かって尋ねた。「さっき俺、風呂場で、間違えておまえのこと『イザーク』って呼んだ?」
「…ゲホッ」
コーヒーが気道に入ってしまった。盛大にむせる俺を見てアスランが「呼んじゃったんだな」と憂鬱そうに言う。(つまりさっきのアレは、俺の聞き間違いじゃなかったと…!)
俺が幾らか落ち着くのを待って、レイはアスランに答えた。
「俺はそんなにあの方に似てないと思いますよ」
「そうだな、性格も雰囲気も違うから実物は全然似てない」
アスランは一生の不覚とばかりのしかめっ面で言った。「…骨格が似てるんだ、頭とか手の形とか」
そう言われればそうかも、と俺は思わずレイの端正な横顔を見つめる。
シャープな顎、スッと通った鼻筋、切れ長の鋭い目__。
「…Yzakは短気で性格がキツいって、ホント?」
気づけば口から滑り出ていた。
「せっかちで直情型で、どこまでもプライドが高い」
アスランは普通に答えた。「根はいいやつなんだよ。ネットに冷血漢なんて書かれてるけど、性格はどっちかっていうと、顔に似合わず暑苦しい。敵を作りやすいのは、仕事熱心で一切の妥協を許せないのと、言わなくていいことまでズケズケ言うからだ」
彼が感情のこもらない声で話すので、俺はどう受け取ればいいのかわからなくなる。
「……Yzakがアンタの恋人なの? フレイ・アルスターじゃなくて」
「フレイ? ああ、彼女は…」
アスランは眉を上げて何か言いかけて、それはやめた。
「一時期付き合ってたよ、イザークと。高校も学年も違ったけど、キラを介して知り合って、俺がバンドに加わってしばらくしてから」
「……ホントにホントなんだ」
まだ半分信じられない。
アスランが、というより、いま俺を取りまいている全てのものが。
都会の高層ビルの最上階で、大理石のテーブルとか高価なティーセットとかに囲まれて、生まれも育ちも全く違う人から、こんな話を聴いている状況が_
「嘘みたいだよな」
と、アスランが淡白に言った。「俺も、街中で彼の写真を見かけても、あんまりピンと来ないんだ。『こんなヴェロキラプトルみたいな悪役顔だったっけ?』と思って」
「ヒドい」
Yzakの美貌を崇め奉っている熱狂ファンの女性たちが聞きつけたら炎上しそうだ。
せめて爬虫類系イケメンとか美白美麗とかクールビューティとか、他に言いようがあるのでは。
「…一時期って、どのくらい付き合ってたの?」
「俺が高1の冬からだから……3年くらいかな」
「長いじゃん!」
俺は1年も同じ女の子と付き合ったことなんてない。
Yzakは女癖が悪いっていう巷の噂はいったい何なんだよ?
「公式プロフィールだとYzakはKiraとLacusの1個上だよな。Lacusたちが高校卒業して、ディセンベルからセントラルに出てきて1年くらいはインディーズにいて、Archと契約したのが2年前」
「そうだね」
「でもメジャーデビュー直前に、SashaとMickが抜けてShihoがメンバーになった?」
「うん」
バンドの話になると一転して、アスランは口が重かった。
「あ、ごめん。アンタが話したくないならこれ以上訊かないけど…」
「そういうわけじゃない。大丈夫だよ」
アスランはちょっと口角を上げて見せた。「ただ俺はもう“ソランジュ”に一切関わってないから。俺が急にバンドを抜けたせいで、彼らには迷惑をかけたし……自分が元メンバーだったことを、軽い気持ちで人に言ったりはできなくて」
アスランが言葉を選んで話しているあいだにレイは粛々と食器を片し、紅茶のお代わりを運んできた。
「昨日、ルナマリアが、一瞬シンを疑ってしまったと言ってた。おまえが俺の素性を知っていて、何か目論みがあって計画的に俺に近づいたんじゃないかって。__ミゲルも、同じようなこと言ってたけど」
「えっ? …俺はそんな……!」
「わかってるよ。ルナマリアもミゲルも、本気でおまえが嘘つきだなんて思ってないさ。……でも俺は、ほんのちょっと、そうであってほしかったかな」
その発言には少なからず驚いた。
「俺が嘘つきのほうがよかった…ってこと?」
「だって、出来過ぎじゃないか。イザークと別れてマイウスに行って、2年ぶりにセントラルに帰る汽車の中で、“ソランジュ”の_キラかLacusならともかく_よりによってイザークのファンが隣に座って、俺の知ってる話や知らない話を道中延々と聞かせたんだぞ?」
そう言われて俺は、あのときの状況をアスランの立場でリプレイしてみる。
「……すっごく居た堪れない」
「だろ。こういう運命なんじゃないかとか、一瞬でも本気で悩んだよ」
「何か、ごめん」
「おまえがあやまることじゃないけど」
アスランは終始穏やかに言った。「でも本当にびっくりしたよ。__実は日付も一緒だったから。俺とイザークがふたりでセントラルに出てきたのが、3年前の同じ日だったんだ。ディセンベル駅から始発の汽車でね」
「……それ、マジ? 3月14日!?」
すごい偶然に、ワクワクしてくる自分を抑えられない。
あまり前のめりになって根掘り葉掘り訊かないようにしよう、と思っていたけど、Yzakのそういう話が聴けるのは、やっぱり嬉しくて。
「俺とキラの高校の卒業式が13日で_その夜はパーティがあって俺は殆ど寝てなかったんだけど_朝方にイザークに呼び出されて、駅前にひとりで行ったら、アイツは俺に片道切符を2枚見せて、今すぐセントラルに行こうとか言い出して」
「うんうん」
「予定では出発は1週間先で、他のメンバーも一緒に行くはずだったし、俺は携帯電話すら家に置いて来ててさ。イザークも、殆ど手ぶらだった。でも、あのときは俺も寝不足で、卒業して開放的な気分になってたのか、そんなに悪い考えじゃないように思えてきて__気づいたらふたりで始発便に乗っていた」
「…おおー」
やっぱりYzakってカッコいいな!
彼もかつて夢を叶えるために故郷を飛び出したんだと考えると、胸が熱くなった。その冒険に一緒に連れて行きたい人が、彼にはいたんだ。
俺はたぶん目をキラキラさせて聴いてたんだろう。アスランは面映く笑った。
「まぁ、あの逃避行は楽しかったな……生まれて初めて、自由で。あとでキラにもミゲルにも散々文句を言われたけど」
遠くを見て微笑む顔がきれいで、俺は息が詰まる。
まだ高校生だったYzakも、アスランに初めて会ったとき、こんなふうに息ができなくなったんだろうか。
いつもどこか別のところに心を半分置きっぱなしにしているアスランの目を、全力で自分に向けさせたい。
油断したらすぐにいなくなってしまいそうだから、片時も手を離したくない。
そんな身を焦がすような、苦しい恋をしただろうか。
「……じゃあ前にもセントラルにいたこと、あったんだね」
「うん。海辺の古いアパートメントに、ふたりで住んでた」
アスランは言って、紅茶をひと口飲んだ。
__『何で別れたの?』
本当はそう訊きたかった。でもたぶん、アスランは今は話してくれないような気がした。
何を言うべきか迷っていたら、レイが先に口を開いた。
「お話中すみませんが、アレクサンダー様。そろそろお時間です」
「だからその呼び方、やめろ」
アスランはうんざり気味に言って、立ち上がった。
「研究所に行くの?」
「ああ。シンは今夜は、バイトか?」
夢から醒めたような気持ちで俺は頷く。「ちょっと遅くなると思う。……あ、何か俺に相談があったんだっけ? ごめん、俺ばっかり色々訊いちゃって」
「また今度話すよ」
アスランはダイニングルームを出て行きかけ、「そうだ」と呟いて振り返った。
「この家で共同生活をするに当たって、ひとつだけ、おまえに絶対に守って欲しいことがあるんだけど」
「なに?」
「夜、寝るときは必ず部屋の内側から鍵をかけるようにしてくれ」
「は? ……何で? まさかここ、『出る』とか…」
怖いんですけど。
シンデレラが憧れたお城は、実はホーンテッド・マンションでしたっていうオチ?
「ステラだ」
と、アスランは大真面目に打ち明けた。「あの子は夜型で、皆が寝静まってから居間のテレビを観に降りて来るんだが、明け方に、戻る部屋をよく間違える」
「なるほど………え、どーゆーこと?」
「勿論おまえのことは信頼してるけど、ステラは行動の予測がつかないところがあるから、念のため忠告しておく」
アスランはそう言う割りには、疑念を払拭できていない目で俺を見ていた。
「もし何か間違いが起こったときは、ここから追い出されるだけじゃ済まないってことは自覚しておけよ、シン」