30 -Athrun-

日曜日、ディセンベルは曇り時々雪。
凍えた指先に息を吹きかけながら、地下への階段を降りる。
重いスタジオのドアを開けると、3人が揃っている。奥に座っていたミーアが笑顔を向けた。

「アスラン、おはよー」
「おはよう」

振り向いたイザークは、もうひとりの姿を探して俺の後ろを見る。

「……おまえだけか。ミゲルは?」
「誘ってみたけど、口頭試験が近いからしばらく練習には出られないって」

本当はサボりだ。
ミゲルが今更マジメに受験勉強なんかしてるはずないし、今日だっていつものクラブか、ガールフレンドのところにいるに違いない。
俺の出まかせを信じたかどうかはともかく、イザークはそれ以上訊いてこなかった。

「全員来てから話すつもりだったが……実はR・フィッシャー氏から連絡があった」
いち早く反応したのはキラだった。「え、『クイーンズ・ギャンビット』のマネージャーの? とうとう彼からお呼びがかかったんだ」

『クイーンズ・ギャンビット』__この街では名の知れたヴェニューのひとつだ。キャパは300人と決して大きくないが、数々の才能あるアーティストを輩出しているロックファンの聖地だった。

「“エレファント…”何とかってバンドのオープニングアクトに急遽空きができたそうだ。来月あの店で演奏できる」
「前座でもなんでも演るチャンスさえあればこっちのもんだよ。そのバンドの客もうちが丸々いただいちゃおう」
キラは自信たっぷりに言い、イザークは当然だという顔で頷いた。「そういうことだから、来週から練習時間を増やすぞ」
「……ですよね」

キラは風船がしぼむように勢いを無くし、ミーアがくすくす笑う。
イザークは俺を見た。

「ミゲルが来られないなら助っ人を頼むが」
「そういうことなら、来週からは来るんじゃないかな」
「大事な試験があるんだろ」
見透かした目で嫌味っぽく言われ、俺はしらを切った。「俺が来いって言えば来るよ」
「………貴様さては、まだミゲルに話してないんだな」
「うん。何で?」

イザークは何が気に食わなかったのか返事をせず、代わりにキラとミーアに言った。

「おまえらには一応報せておくが、俺たちは4日前から付き合ってる」

キラは一瞬、無表情になった。

「えー、何それズルい」
ミーアはすかさず憤慨した声を上げた。「バンド内の恋愛はご法度じゃなかったの、リーダー? あたしもミゲルかキラと付き合っちゃおうかな」
ふくれっ面のミーアを、キラは畏れをなしたように見る。「……そんな当てつけで男を選ばないでよ」
「だって悔しいじゃない、最近、イザークばっかりアスランを独り占めして。あたしだってもっとアスランと話したい。ラクスのこと色々聴きたいのに、あたしとアスランがふたりきりになると絶対イザークが邪魔してくるしー」
よせばいいのにイザークはこれに応戦する。「はぁ? おまえの猛烈な質問攻めに毎度アスランがタジタジになるから、助け舟を出してやってただけだろ」
「してないもん、質問攻めなんて!」

毎度の兄妹喧嘩が始まり、しかたなく俺は言った。

「いや、俺に訊くのは全然構わないけど、ラクスのことは他言していい話が限られていて……安全保障上の問題が、あって」
「アスラン、今そういうのいいから」
キラはげんなりして俺に言った。「それより、ミゲルはきみたちのことを承知してるの?」
「さあ、俺はまだ言ってない。何でいちいちミゲルの名前が出てくるんだ?」
「何でって…」
キラは説明が面倒くさくなったようだった。「どうなっても知らないよ、僕は」



***



翌朝登校すると、ロッカーの前でキラが待ち構えていた。

「遅いよ、アスラン。また寝坊?」
「いや、車を降りたとこで人に捕まって…」
「ちょっと来て」
腕を取られ、廊下の隅へ引っ張って行かれながら、俺は空いている方の手でコートのポケットを探る。「これ、おまえに渡すように頼まれたんだが」

たった今、校門の前で。
キラは「あ、うん」と口の中で呟きながら、人目を気にするようにそれを受け取った。

「白黒の映画とか観るんだ、キラ」
「まぁ、うん、最近。古い恋愛映画なんて退屈と思ってたけど、ちゃんと観たらけっこう面白い、のかも」
「……いつからフレイ・アルスターとDVDを貸し借りする関係に?」
キラは少し赤くなった。「関係、って言うほどのものじゃ……去年の夏休みの、アルバイト先がたまたま彼女の別荘に近くてさ。何度かテニスの相手をして、1回だけ、成りゆきでパーティに誘われただけ」
「…ふーん」

どうも怪しい。
校門で俺を待ち伏せていたフレイは、他の生徒に会話を聞かれたくないようだったし、キラはキラで挙動不審だ。夏休みの話もいま初めて聴いた。

キラはわざとらしく咳払いした。「それより、昨日の話だけどさ」
「どの?」
「きみがイザークと付き合いだした件、他に何があるんだよ。先週の水曜日の練習のあと、きみらだけ残ってたよね。あのときなんでしょ、そういう話になったの」
キラは早口に畳みかけた。「で、その後の木曜も金曜も、きみは学校で僕と会ってたよね」
「それがどうかしたのか?」
「『どうかしたのか?』じゃないよ、アスラン。そーゆー大事なことを何で僕に真っ先に報告してくれなかったの?」
「それは…」

キスされるまで自分の気持ちに気づかなくて、頭を整理するのに時間がかかったから__と正直に言ったところでキラに通じるかどうか。

考えた末に俺は言った。「何か、ぼーっとしてた」
「乙女かな」
キラは目を細めて唸る。「なに、アスランってそんなにアイツが好きだったの。ついこないだまでイザークがどんだけ女の子をローテーションしても、きみは平常運行だったくせに」
「ローテーション?」
キラはどうでもよさそうに言った。「リーダーの女、だいたいいつも3、4人いて、週替わりで違うのを連れてたじゃない」
俺は純粋にびっくりした。「そうだったのか。もっと多いと思ってた。__というか、毎回新しい彼女なのかと」
「アスランって人の顔を覚えないからね……まぁ似た感じの雰囲気の子たちだったけどさ。きみに対してもほとんど一目惚れっぽかったし、イザークって面食いだよね。でも潔癖だからけっこう身持ちの硬い子を選んでたし、同時並行で他の子とも寝るようなことはしてなかったんじゃない。人数を絞らなかったのは、わざとだったみたいだけど。チケット捌かすために」
「……全然気づかなかった」
「つまり、イザークが誰と寝ようが無関心だったってことでしょ。それなのに、告白されたらホイホイ付き合うんだ?」

その言い方からしてキラは俺が単なる好奇心でOKしたと考えているようだった。
しかしそういうことなら、俺もキラに言いたいことがある。

「俺以外のメンバーは、だいぶ前からイザークの気持ちを知っていたらしいな」
「まあ、アイツはきみと違ってわかりやすいし」
「何でキラはそんな大事なことを俺に言ってくれなかったんだ?」
キラはぱちくりと瞬きした。「え。言う必要あった?」
「……」
「ああごめんね、何かキツい言い方になっちゃって。正直、きみに言っても僕が得することがひとつもないから、かな。そもそも最初にきみをメンバーに紹介したのは、ミーアがすごく会いたがってたからなんだよね」
「……聞いてない」

咎めるようにキラを睨むと、「だってこの分野できみに期待するだけ無駄だもん」などと、飄々とした言い訳が返ってくる。

「昨日のあれはミーアなりの気遣いだと思うけどさ、半分……3分の1くらいは本音も入ってたと思うよ。きみ、ミーアの好みのど真ん中だし」
キラの言葉は俺の頭を混乱させた。「……いや、彼女はイザークが好きなんだろ」
「うーん。まぁ3分の2、諦め切れないでいるんだろうけど。ほとんど刷り込みみたいなもんだから、解除するのはなかなか難しいよね」
そしてキラは自論を展開した。「ミーアがイザークを好きな気持ちが本物だってことは否定しないよ? 彼女は小さい頃、重い病気のお姉さんがいたから両親にあんまり構ってもらえなかったみたいだし、イザークはイザークで家庭環境ぐっちゃぐちゃで、ミーアの面倒を見ることでかろうじて道を踏み外さずにいたわけでしょ。隣の家にカッコいい男の子が住んでて、いつも側で守ってくれるっていうシチュエーションは完璧な少女漫画だよね。そりゃあミーアじゃなくても1回くらいは好きになるよ」

俺は少女漫画を読んだことがないので黙っていた。

「でも現実は漫画みたいにうまくいかないじゃない。中学時代のイザークなんか今と比べ物にならないくらい暴力的で、頭がいいぶん陰険で、マジで人としてどうなのってレベルだったし、ミーアだってホントはとっくに夢から醒めてるんじゃないかな。でも“ソランジュ”がある限り、あのふたりはお互いの人生から出て行けないし、ミーアは今さらイザークに幻滅するのが怖いんだと思うよ」
「……そんな感じに見えないけどな」
「それはアスランが、彼女を例のサイコパスなお姉さんと比較して、素直で明るい子だと思い込んでるからでしょ」
キラは訳知り顔で言い切った。「ミーアはああ見えて臆病だし、思い込みが激しいし、とにかく自分に自信が無いんだよね」

キラが言うならそうなんだろう、という気がしてきてしまう自分が少し嫌だ。
ミーアがイザークに依存して生きていると言うなら俺だって、学校生活から夜遊びまで、未だにキラが一緒じゃないと不安になる。

「…百歩譲って、おまえの仮説が正しいとして、ミーアの気持ちが2分の1以上俺に傾いた場合、どう落とし前をつけるつもりだったんだ?」
「えー、さすがにそこまで面倒見きれないよ。仲介は人に頼めても、そのあと恋愛を頑張るのは当事者同士でしょ」 
「自分で言うのも何だが、その頑張る相手が俺っていうのは彼女に酷だろ。おまえ、イザークのことをとやかく言えないぞ」
キラは苦笑した。「僕だって“ソランジュ”に賭けてるからね。僕的には、ミーアが重度のイザーク依存から脱却してくれさえすればいいんだ。この先イザークが誰かと結婚したり別れたりするたびにミーアが歌えなくなったりしたら、目も当てられないじゃない」
「……それはそうだが」
「まぁ、さすがに、きみをミーアとくっつけられるとは思ってなかったけどさ。まさかイザークとくっつくなんて想定外だよ。__きみは誰とも付き合わないような気がしてた」
キラはついと手を伸ばし、俺の首元のネックレスに指を引っ掛けた。「いつもつけてるこれ、トップが付いてないよね」
俺は少し後ろに下がり、キラにそれをやめさせた。「要するにおまえは、俺がイザークと付き合うことに反対なんだな?」
キラはこちらを試すような目をした。「僕が頼んだらイザークと別れてくれるの?」
「キラが別れろって言うなら別れる」

本気だった。
昨日、イザークがいきなり交際宣言したとき、一瞬だけキラが無表情になったことがずっと引っかかって。

「どうせ俺はいつまでもバンドにいられる人間じゃないし、おまえを怒らせてまでイザークと付き合いたいとは思ってない」

そう、あの夜のイザークの、屈託ない笑顔を無かったことにしてしまうなら、今のうちだ。
考えただけで、何だか心臓のあたりがすごく痛いが。
俺はそれなりの覚悟を決めてキラの判決を待った。

「……別に、きみがイザークを好きだって言うなら、反対はしないよ」
キラは面白くなさそうに言った。「何だかなー。こういうのって、誰が悪いとかじゃないんだけど。ミーアはイザークが好きで、イザークはきみが好きで、きみはイザークを選んで、それは誰のせいでもないっていうのはわかってるんだよ? __でも、結局イザークだけ欲しいものを全部手に入れてるし、世の中アイツみたいな強者が勝つようにできてるんじゃないかって……それがどうしても、ムカつくっていうか。みんなが幸せになるようにはいかないもんだなって、僕が勝手にイラついてるだけなんだ」
「……うん」

確かにイザークは容姿にも才能にも恵まれ、裕福な伯爵家の嫡男で、世間的にはいわゆる勝ち組の部類に入るのだろう。
それでも、『勝つ』ことイコール幸福ではないのに、と思ってしまう俺は所詮、強者の論理の中で生きている側の人間なんだろうか。
イザークが母親の病気や父親の不倫のために想像を絶する苦労をしてきたことも、今だって自分の弱さに負けないように、死にものぐるいで踏ん張っていることも、強者に生まれなかった多数派の人々に比べれば『贅沢な悩み』ということになるのだろうか。

「まぁでも、きみはミーアと違って簡単にイザークの思い通りにならないし、ってか人生の勝ち組って意味ではイザークの上を行ってるし、あの暴君がきみに振り回されてるのを見ると、ちょっとせいせいするよ」

鈍感な俺でも容易に気づく。
__キラは、フレイ・アルスターに恋をしているらしい。

予鈴が鳴り、俺はそれを確かめ損ねた。
教室へ戻る途中、並んで歩くキラに見えないように、シャツの外に出たネックレスを襟の中へしまいこんだ。
形見になってしまったそれを、俺は未だに付けたり外したりしている。
ミーアやキラは_もしかしたらイザークも_俺とラクスが恋仲だったと思っているようだが、それは俺が詳しいことを語らないからだ。
特にミーアには、俺の口から言えるわけがなかった。実の姉と離れて暮らさなければならなかった本当の理由。

ラクスは一度、赤ん坊の妹を殺しかけたのだ。

ラクスと俺は、ユニウスの『療養所』で出会った。
その辺り一帯は元々は俺の母方の祖先の領地で、なだらかな丘陵と谷川が連なり、その雄大な眺めを独占する石造りの城は、昔は鹿狩りの時期にだけ使われていた。
曽祖父の代にその大半の土地は民間の自然保護団体の管理下となったが、城は外観を残して内部にあちこち手を加え、国の研究施設として生まれ変わった。
ラクスはその場所を単に『療養所』と呼んだ。彼女は自由に外を歩き回ることができなかったので、高い塀に囲まれた箱庭で、いつも歌を歌っていた。
ある日、城の裏の葡萄畑で遊んでいた子どもが、その歌声を聞いた。
歌の言うとおりに、彼は秘密の花園の入り口を探し当てた。古い城には隠し扉や地下通路が付き物だったし、彼はそのことを祖母から聴かされたことがあった。

これは、俺が7歳のときの話。

以来、俺はそうしてときどき、歌が聞こえてくると『療養所』の庭に忍び込み、彼女の話し相手になった。
当時13歳のラクスとの出会いは、俺にとって衝撃の連続だった。
彼女は俺よりもずっと賢く、怖いもの知らずで、自分を偽ることとは無縁だった。目的のために手段を選ばず、息をするように人の心を操り、良心の呵責がいっさい無かった。ブルーグレーの瞳は夢見がちに、どこか別の世界に焦点を定めていて、俺は彼女と話していると、何が現実で何がそうでないのか、わからなくなるのだった。彼女の肉体は不自由だったが、心は羽根よりも軽やかで、掴みどころがなく、この世の何物にも囚われることがなかった。
俺たちはよくゲームをした。
世界をより良くする方法を考え、思考実験をするふたりだけの遊びだった。やがて俺は彼女のカオス理論に基づいた計算式を、実体的な装置に落とし込んだ。__簡単に言えば、一見して無関係に思える結果を或る確率でもたらすことが可能なトリガーを導き出す計算機。
例えば、地点Bで医学界のブレイクスルーを起こすためには、地点Aで特定のふたりの人物が出会わなければならない、といった具合に。架空世界の、他愛のないシミュレーション・ゲームだ。
俺はそのアプリケーションを愛玩用ロボットにインストールし、バレンタインのネックレスの御礼として、ラクスに贈った。
__それが悲劇の始まりになるとも知らずに。

かつてR.オッペンハイマーは言った、『物理学者は罪を知った』と。
ラクスや俺のような子どもは、天の贈り物をふたつ握って生まれてくるのかもしれない。右手には神の恩寵を、左手には悪魔の誘惑を。

俺の罪は、幾つあるだろうか。
ラクスに近づく危険性を感じながら、知的好奇心を抑えられなかったこと。彼女を監視下に置く大人たちの存在を、取るに足らないものとして無視したこと。そして、俺が遊びで作ったものを、現実世界で使ってみようとする人間がいるかもしれないという考えに至らなかったこと。

ラクスが土をこねたものに、俺が命を吹き込み、第三者が引き金を引いた。
極秘に進められたその実験計画は、彼らがラクスにつけたコードネーム“Angel”になぞらえ、Songs of the Angel _『天使の唄』と呼ばれた。



31 -Athrun-

インターホンの音で目が覚めた。

(……あ、研究室…行かなきゃ…)

頭の側には借りた雑誌が開かれたままになっている。
昨日の夜、コンサートに行くと言ったら、シンが張り切って自分のコレクションから何冊も持ってきたのだ。読んでいたら朝になってしまった。
起き抜けの頭で、“ソランジュ”の特集ページの写真を眺める。相変わらず俺の知らないイザークが映っていた。

(……いいよな、遠くから観るだけだし。一度くらい、今のアイツを見てみたかったし…)

ちゃんと見届けて、それでもう、本当に_

「アスラン」
「……ああ、起きるよ」

さっきからドアのところでレイが呼んでいるのは聞こえていた。(最近ファーストネームのほうを呼ぶまで返事をしないことにしているのだ。)

「下でお客様がお待ちですが」
「誰?」
「やっほー、アスラン。来ちゃった」

レイの肩越しに手を振る人物の顔を見て、眠気が吹っ飛ぶ。

「……キラぁ?」
「あ、2年ぶりに会った親友にそーゆー顔する? 普通に傷つくんですけど」
「……まぁ、そろそろ現れる頃だと思ってたよ」

俺はレイに『問題ない』と頷いて、ベッドを降りる。レイはキラを部屋に通し、一礼した。

「すぐにコーヒーをお持ちします」
「あ、僕は紅茶で。すみません」

ふたりきりになるとキラは俺の部屋を見回し、「うわ、何も無い」と、シンと同じことを言った。

「アスラン、すごいとこに住んでるね。ペントハウスとか、如何にもセレブって感じ」
「俺から見れば今やキラのほうがセレブだよ」

キラがブラインドの隙間から外を覗いているのを横目に、俺はクローゼットを開けて新しいシャツに着替えた。

「おまえ、ここまでどうやって来たんだ」
「タクシーで? ここ、今どきドアマンとコンシェルジュまでいるんだね。何か、顔パスでエレベーターに案内してくれたけど」
「“ソランジュ”のKiraが来たら通していいって伝えてあるから」
「そうなんだ、アスランにしては気が効くね」

キラはピアノの蓋を開け、適当に鍵盤を触る。その隙に俺は、ベッドの上の音楽雑誌を片付けた。

「フレイならここにはいないぞ。とりあえず安全なところにいるから、おまえは_」
「やっぱりアスランが匿ってたんだ。安全なところって?」
「キラ、週末は大事なコンサートだろ。こんなところに来てて大丈夫なのか?」
「質問に答えてよ」

振り向くと、キラがすぐそばに立っていた。

「…あれ、何かおまえ、記憶より小さいな。背が縮んだ?」
「フレイはどこにいるの」
「……」

間近に見たキラの目つきに、嫌な既視感を覚えた。
咄嗟にキラの左腕を掴んで、革ジャンの袖を無理やり二の腕まで押し上げる。
__危惧したような注射痕は、ない。

「ちょ、いきなり何するのアスラン? 痛いよ」
「……キラ、おまえ_」

嫌な予感が確信となって、鈍い衝撃が背筋を這い上がる。それが頭まで到達したとき、俺はキラの胸ぐらを掴んで怒鳴っていた。

「この大バカ野郎!!」
「……あー、さすがにアスランの目は誤魔化せなかったか。一発だったね」
「笑うな。地元のスラムでおまえみたいなヤツを何人も見てきてるんだ、当たり前だろ。っていうか何をやったんだ__LSD、MDMA、オピオイド…違うな、コカインか? そうだろ。誰にもらった? いったい何を考えてるんだ、業界に染まるにも程があるぞ!」
「そんな怒らないで……大したことないから、ちゃんとセーブしてるし、ハマるほどやってないから」
「馬鹿キラ。セリフが既にシャブ中の常套句じゃないか。今も持ってるのか? 捨てるから全部寄こせ」
「持ってない。ちょっと落ち着いてよアスラン、何かさっきからキャラが違ってない?」
「常用者の言葉が信用できるか。とりあえず上着を脱げ。俺が調べる」

壁際にキラを追い詰めて、とにかく革ジャンを脱がせようとしたとき、部屋に誰か入って来た。
一瞬レイかと思ったが、ドアのそばで目を丸くしていたのはシンだった。何かまた誤解された気がするが、今はそれどころじゃない。

「おかえり。悪いが見てのとおり、ちょっと取り込み中だ。向こうへ行っててくれないか」
「…あ、はい…」

シンは釈然としない顔で、一度は出て行きかけたが、キラがじたばたし始めたせいで足が止まっている。

「もう、きみって相変わらず力強すぎ……ってか、パワーアップしてない?」
「おまえの体力がなさすぎるんだ」

体に触って、はっきりわかった。
さっき縮んだと思ったのは気のせいでなく、不自然に痩せたからだった。顔色もよくないし、ひどく疲れているように見える。

それだけ過酷な世界なのだ。
最初の怒りが少し引いてくると、今度はやり切れない気持ちが優ってくる。
__俺があのままキラのそばにいたら、絶対そんなモノに近づけさせなかったのに。
キラは人一倍の才能に恵まれているが、生来ののんびり屋だ。練習も勉強も進んでやるタイプではなく、何も予定が入っていない休日にゲームをするのが何よりも幸せ、というような。
キラがストレスや誘惑に弱いことも、フレイに縋られたら突き放せないことも、俺は知ってたのに、やっぱりどこかで、キラなら大丈夫だと思ってしまっていた。__俺の中であまりにもキラの存在が絶対的だったから。

「…何やってるんだよもう…。いつからこんな馬鹿なこと……イザークは__知ってたらとっくに殺されてるか」

イザークは昔から、ドラッグにだけは絶対手を出さなかった。(ニコチン中毒でセックス依存気味だったが。)
アイツが知っていたら今頃キラはクビか、問答無用でどこか人里離れた山の中の施設にでも放り込まれているはずだ。

「ねぇ、それよりさ、彼がミゲルの言ってた例の新しいルームメイトなの? 紹介してよ」

俺の心痛をよそに、キラは呑気だった。
そういえば、シンは“ソランジュ”の今のメンバーとは初対面だ。筋金入りのファンだし(ただしYzakの)、目指す業界にコネがあれば何かと得だろうし、いつかは、何らかの形で会わせてあげられれば、と考えてはいたが、早いタイミングで実現してしまった。
心なしか、シンが今にも飼い主に飛びつきそうな柴犬に見える。

「Kira……さん、ですよね? “ソランジュ”の…」
「あ、うん…」
キラはバンドの名前が出たせいか、急によそゆきの顔で答えた。「そうみたい」

(……いや、『そうみたい』って何だよ)

俺が呆れている前で、シンは感激してキラに握手を求めていた。