14 -Yzak-

「あららぁ……酷い顔。もしかして、もう寝てた?」

よほど日頃の疲労とストレスが顔に出ていたのか。
ミーアは物珍しげに俺を見た。

「日付が変わる前に寝るなんて、さすがの鬼の隊長もお疲れのようですわねー。強硬日程だもんねー。うちの事務所ってどうしてこう体育会系なのかなぁ。他に稼ぎ頭がいないからって、仕事詰め込みすぎ」
「……そう言うおまえは元気だな」

いつもよりテンションの高い声が、寝不足の頭にキンキン響くんだが。

「元気ってゆーかぁ、今、ハイなの。明後日のコンサートのこと考えたら頭が冴えちゃって、ちっとも眠くないのよねー。……やっぱり地元でやるライブは盛り上がり方が違うもん、ちょー楽しみ」
「明日も早いぞ。少しでも横になっておけ」
「無理なものは無理」
ミーアは膨れっ面になる。「どうせ今日は朝まで眠れないわよ。ゼンマイが切れたら止まるだけの人形じゃないんだから」
「……」

コイツの遠まわしの嫌味には慣れているが、生憎と相手をしてやる余裕がない。

「で、俺に何の用だ」
「Ta-dah!」

俺の鼻先にトランプのケースを突き付け、ミーアはにっこりする。

「今からキラの部屋で七並べするの。一緒にやらない?」
「……修学旅行かよ」

つーか、何で七並べなんだ。
”ソランジュ”で最近流行っているらしいが、せめてポーカーとかブリッジとか、もう少し知能的なゲームはできないのか?

「俺はパス。おまえらも早く寝ろ」
「もぉーつまんなーい、イザークってば」

彼女がぷいと向きを変えたとき、俺は肝心なことを思い出した。

「ミーア」
「なによー?」
「……」

反射的に声をかけてしまったが、寸前で思いとどまった。
コイツにアスランのことを話すのは、やはり時期尚早だ。

「明日、おまえは午前中で上がりだろ。せっかく地元にいるんだから、久しぶりに墓参りでもしてきたらどうだ」
「……そうねー、天国のお母さんにお願いしてきたほうがいいかも。イザークがこれ以上人の恨みを買いませんように、って」
「おまえの母親の居場所は天国じゃなくて北欧のはずだが」
「だからイザークのお母さんよ。あたしのママだって年じゅう音信不通だし、この世にいないも同然だけど?」
「……いいから、自分の父親を参ってやれ」

そもそもジュール本家の代々の墓地はマティウスにあるし、ディセンベルのほうの墓を参って母が喜ぶかどうか疑問だ。

北部の土地柄がよほど肌に合わなかったのか、彼女は死ぬまでマティウスを恋しがっていた。

「あと、出かけるのはいいが、こっちも日差しが強くなってきたから、日焼けには気を付けろよ」
「イエス、サー」

ミーアは軍隊式の敬礼をした。
額に手をかざしたまま、遠くの標的に目を凝らすかのごとく俺の顔を見てくるので、仕方なく尋ねる。

「まだ何かあるのか?」
「べっつにぃ。イザークのほうがあたしに言いたいことがあるのかなー? と思って」
「今はいい」
「ふーん? じゃあ、おやすみなさーい、ジュールたいちょー」

ミーアはあっさりと引き下がり、鼻歌交じりにキラの部屋のほうへ歩きだす。
何とは無しに、彼女の歩に合わせて揺れる髪を見ていると、昼間のキラとの会話が思い出された。

『ねぇイザーク。ミーアには、いつ言うのさ?』
『何をだ』
『何って、決まってるじゃない。アスランが戻ってきてることだよ』
『俺から改まって知らせる予定は特に無いが?』
『うわー。アスランとよりを戻す気満々なのに、ミーアに何も話さないつもりなんだ?』
『言いたきゃ貴様が言えばいいだろ。俺がプライベートでアスランとどうなろうが、アイツの了承を得る理由は無い』
『……秒でフラれればいいのに』
『何か言ったか?』
『あのさぁ、イザーク。きみが周囲の反感を買いやすいのは、並より優秀でしかも完璧主義で、自分と同レベルの理解と能力を周りにも要求するからだってことはわかってる。あと、毒舌のせいとね。__だけど、ミーアだけは例外だ。きみって本当に、彼女に対しては冷酷な言動をわざわざ選ぶんだよね』
『……じゃあ何か。他に本命がいながら、自分を好きな女には思わせ振りな態度を取るのが貴様流の優しさか?』
『そんなことは言ってないよ。きみがミーアを大事にしてるのは事実なんだから、わざと本人の前で真逆に振る舞うことまでしなくったっていいだろ。……だいたい、きみだってアスランと付き合うまでは平気で好きでもない女と寝てたじゃないか。なんで相手がミーアだと駄目だったわけ?』
『それとこれとは違う!』
『どこが違うのさ?』
『あのな……ミーアは俺にとっては家族みたいなもんなんだぞ。妹にそんな感情持てるかよ。あり得ないことにいつまでも期待させておくほうが、残酷だろうが。……俺だって早くアイツの手を離してやりたいから、これでも急いでるんだ』
『……まったくもって正論だよ。だからこそ、きみとミーアは一生ボタンをかけ違えたままなんだろうね』
キラは首を振って言った。『それでも僕がきみよりも彼女に同情してしまうのは、彼女がきみの手を離すまいと必死に歌姫Lacusを演じてるように見えるからなのかな』

キラは昔からミーアの肩ばかり持つ割りには、囚われの姫を塔の上から降ろす役目を引き受ける気は無いようだ。
……まぁ、前提としてミーアがキラを男として見ていないので、仕方がない。

("ソランジュ"にすら俺の味方になる人間はゼロってわけだな)

アスランはそういう意味でも俺の唯一だった。
アイツがいないと、何処へ行っても気が休まるときがない。

無性に煙草が欲しくなって、暗く静かな室内に戻った。
ソファーに座って煙草に火をつけ、咥えたまま後ろに倒れて天井を仰ぐ。

__『でも酷いよね、アスランも』

キラは寂しげに言っていた。

『イザークはともかく、僕に何も言わずに行っちゃうなんてさ』
『……』
『そりゃあ、僕にだって落ち度はあったけど。メジャーデビューの話に夢中で、アスランを気遣ってあげることができなかった。当然5人でデビューするもんだと思っててさ。……音楽で食べてくっていう夢を、アスランやミゲルに押し付けてたんだって、今ならわかるよ。僕たちとは最初から世界が違ったんだって、初めて思い知った』

押し付け__。それが全てだったとは思わない。
キラと同じようなことをあの日アスランも言ったが、俺はアイツの言葉を鵜呑みにしたわけではなかった。

ディセンベルでも、大手からスカウトは来ていた。俺がそれを蹴ってセントラル行きを決めたいちばんの理由は、北部の保守的な業界より、比較的自由な風土の南部でデビューしたほうが自分たちのスタイルでやれると判断したからだ。
自分のバンドの主導権を他人に明け渡すのが我慢ならなかったのは本当だが、ディセンベルを離れるという選択には、個人的な事情も絡んでいた。
伝統的なカトリック社会で、LGBTQへの差別が根強い北部とは対照的に、アプリリウス州は同性婚が認められて久しかったのだ。

年下の3人が高校を卒業してすぐ、セントラルへ上り、インディーズで活動を始めた。
実際にアスランとふたりで暮らしたのは10ヶ月ほどだ。上京する前から既に大手レーベルから契約の話は来ていたので、メジャーデビューに向けた準備で忙しい日々だった。
俺はバンドを一日でも早く成功させて、アスランとの未来を磐石にしたかった。

アスランが本当はどうするつもりでいたのかは、ずっと訊けないままだ。
いよいよ本格デビューできるというタイミングで、ミーアの父親が亡くなることが無ければ、今もアスランは俺の側にいたのかもしれない。

『俺はマイウスに行くよ』

後からわかったことだが、アスランは高校卒業後の進学が決まっていたものの、父親との交渉の末にギャップイヤー(1年の入学猶予)を認められ、セントラルへ来ることができたらしい。
そうでもしなければアイツがディセンベルを出ることなど到底許されなかったのだろう。
大学の件を俺たちに黙っていたのは(ミゲルは知っていただろうが)、おおかた、変な気を遣っていたからに違いない。
デビューに水を差さないためとか、俺が人生を懸けたバンドに集中できるようにとか。

結果的には、アスランは俺を裏切った。
アスランが消えると、ミゲルも当然のようにバンドを抜けた。
『俺はアイツのお守りをしてただけだから』と。

『おまえたちと一緒にやれて楽しかったよ。アスランのことも感謝してる』
『……満足か? アスランが結局そっちの世界を選んで。おまえは、ずっとこうなることを望んでたんだからな』
『勘違いしてるようだが、イザーク、俺はアスランが幸せなら、芸能界だろうが、駆け落ちだろうが、全力で応援したんだぜ』



気づけば灰皿の吸殻が3本に増えている。

アスランは俺の悪しき習慣には文句を言わなかったが、俺は彼と付き合うことで初めて禁煙に成功した。
高校2年の冬から、セントラルの部屋をアスランが出ていくまで、約3年、忌々しい嗜好品の箱を一度も開けなかった。

「……」

朝までに、頭を正常に戻す必要がある。
4本目を燻らせつつ、やるせなさに目を閉じた。

(__今すぐおまえにキスできたらいいのに)

アスランの唇の、癖になる柔らかさが好きだった。
からだを深く繋げても、まだ互いの唇を追いかけて、酸欠を起こすギリギリまで__。
彼のいちばん近くで、あの緑の目が熱に蕩けて、俺以外なにも映らなくなるさまを見たい。



15 -Athrun-

「ミーアと付き合ってるのか?」

ピッ…

(__あ。)

ココアのアイス、じゃなくてホット。
自販機に向かって、寒さにかじかむ指を彷徨わせていたとき、絶妙のタイミングでイザークが訊いた。



その日も、ミゲルは大学の試験勉強のため貸しスタジオに来ず。
メンバーを欠いた練習を嫌うイザークは虫の居所が悪かったが、彼の癇癪はそう長続きしないので、ミーアもキラも平然としていた。
キラが門限のあるミーアを送って行ったあとも、イザークと俺は2時間ほど居残った。
この頃、ミゲルがいない日はいつもイザークと帰っていた。
高校が違う彼とふたりになる時間は限られていたが、夏に初めて話してから、俺は彼のことをもっと知ろうとしていた。
__それはおそらく、イザークも同じで。
因みにイザークの家はスタジオを起点にすると俺の家とは逆方向にあったが、彼はいつも律儀に俺を家の門まで送り届けた。

制服のジャケットの上にコートを着てマフラーをしても、スタジオから地上に出ると、耳朶が痛くなるような寒い夜だった。
俺は迎えの運転手(ミゲル曰く『うちの若いもん』)に、今夜も歩いて帰るからと伝えた。ガタイのいい、サングラスの青年はイザークに愛想よく挨拶し、シンセサイザー(10kg強)を軽々と積み込んで帰っていった。

俺たちはわざと遠回りして、車通りの少ない海沿いの道を歩く。
冬の空気は冴え冴えと澄んで、真っ暗な海の上に無数の星が瞬いていた。
年末に降った大雪の名残が、歩道と車道の間に積まれている。
ギターケースを背負ったまま、固まった雪の上を渡って歩いていたら、ふいにイザークが俺の手を取った。

「車が来たら危ないだろう」
「シンセを担いでるわけじゃないし、転んだりしないよ」

左手の指の付け根から先だけ、彼の右手の中に包まれる。
イザークは、頭ひとつぶん高いところにいる俺を黙って見上げていた。
辺りに人影はなく、波の音は穏やかに寄せて返す。
ふたりの白い息が闇に溶けた。

彼の切れ長の目。
初めて会ったときから変わらない__荒野の狼のように鋭く抜け目のない、孤高のネオンブルー。
その瞳の奥に宿る野心にいつだって魅せられていたけれど、近ごろは、深く思い悩んでいるようにも見えた。

「今日は手袋じゃないんだ?」

彼は北国育ちにしては暑さに強く、寒さに弱い。
真夏の生まれだからかもしれない。秋生まれの俺は、寒いのより暑いのが苦手だから。
楽器を弾くための大事な指を冷やしたくないというのが本人の言い分だが、いつもぴったりとしたフェイクレザーの手袋をはめている。

「ああ……学校に忘れた」

イザークは言われて気づいたようだった。
彼の手は最初驚いたほど冷えていたけれど、しっかりと俺を支えて、揺らぐことがない。
危なげなく歩き出した俺の荷物を見て、イザークは言った。

「つーか、ギターも車で運ばせりゃ良かったのに」
「流しのロックミュージシャンみたいにギターを背負ってさすらうのが夢だったんだ」

手に入れたばかりの中古のギターが嬉しくて、とはさすがに言いづらい。
イザークは俺の言葉にやや呆れたようだった。

「そんなのばっかりだな、おまえの夢は。満員電車に乗ってみたいだの、ダウンタウンでホットドッグを立ち食いしたいだの。もうちょっと大きな夢は無いのか?」
「……じゃあ、火星探検に行きたい」
「あるじゃないか」
イザークは笑って、空を仰いだ。「火星はどれだ?」
「今は見えないかな。たぶん明け方になれば、上がってくるけど」
「なら、ここで夜明けまで待つか」
「夜明けがいちばん冷え込むよ」
「浜で焚き火すればいいだろ。ついでに即興ライブでもやるか」
「やりたきゃ独りでどうぞ。俺は帰る」

彼は時々、思いつきで口にしたことを本気で実行するので、俺は安請け合いしなかった。

「おまえが行きたい星なんだろ? 薄情なヤツだな」
「火星探検はものの例えだ。本当に行けるなら何処だっていい」

俺をこの窮屈で息苦しい場所から連れ出してくれるものなら、何だって。
……でも、彼にそんなことを言ったって、ただの八つ当たりだ。

「__ゲームをしようか、イザーク」

彼の口から慰めなんて聴きたくないから、俺は笑顔をつくった。

「あのウィンター・オーヴァルを結ぶ星の星座をぜんぶ言い当てたら、この先のバス停の自販機で好きな飲み物を奢ってやる」
「セイロンティーのホット」
「……あればね」

さりげなく離した左手で、夜空の大楕円をなぞった。

「あの白くていちばん明るいのがシリウス。時計回りに上へ、プロキオン、ポルックス、カペラ、アルデバラン、リゲル」

イザークは星の名前をひとつひとつ、注意深く聴き取った。

「まず、シリウスはDog starというくらいだから、おおいぬ座だろ。リゲルはオリオン座だ。ここまでは一般常識だな。レダの息子ポルックスには双子の兄がいるから、ふたご座。カペラは雌山羊という意味だから……山羊を抱えている男、ぎょしゃ座だ。アルデバランの古名はコル・タウリ、つまり『牡牛の心臓』で、これがおうし座。プロキオンはちょっとわからんが……意味は『犬の前』、おおいぬ座の前にいるのは、こいぬ座だったか?」
「………当たり」
「奢れよ」

イザークは俺の釈然としない顔を見てニヤリとした。

「俺だってガキのころ二度や三度プラネタリウムに行ったことくらいある。あと、文学とラテン語は得意科目だ」
「……だからこそ、絶対カペラでやぎ座に引っかかるはずだったのに」
「正直迷った。俺が『ヤギ』と言ったときおまえが勝利を確信しなかったら、引っかかったかもな」
「……俺、ポーカーで負けたことないんだけど」
「ま、それだけ俺が貴様をよく観察してるってことだ」
「そうなのか?」
「俺は負けるのが何よりも嫌いだが、どうしても貴様に敵わないことがひとつあるから、その他のことでは絶対負けられないんだ」
「……イザークが俺に勝てないこと?」

何かあっただろうか。
チェスの勝率は俺が上だけど、それほど力の差があるわけじゃないし。
俺の知らないことをたくさん知っているし。
背だって彼のほうが高い。

「……そのひとつ以外ぜんぶ俺に勝とうなんて、傲慢だな。俺だって負けず嫌いだから、次はそう簡単に勝たせてやらないぞ」

ちょうどバス停に着いたので歩道に降り、ベンチ脇にぽつんと立っている自販機に向かった。

「えっと……セイロンは無いけど、温かいのがいいよな。グリーンティー?」
「ああ」

無糖のグリーンティーを買って手渡した。
俺は、普段はレモンティーやピーチソーダを好んで飲むけど。

(寒いからココアにしようかな…)

「……なぁ、アスラン」
「んー?」
「おまえ、ミーアと付き合ってるのか?」
「……」

彼が突拍子もないことを訊くから、俺はよそ見をしたままボタンを押し間違えた。

「イザークってときどき面白いよな」

念入りに冷やされたココアが転がり落ちてくる。
最初からコレが飲みたかったんだとばかりに缶を取り出し、その場で開けて飲んだ。

……砂糖の味しかしない。

「違うのか?」
「何でそんな誤解をしたのか見当もつかないけど、誓って潔白だよ。俺だってまだ死にたくないし」

尋問でも受けている気分だったが、すまし顔で答える。
……まさかこのシスコン、彼の大事な歌姫が笑いかけた男を片っ端から脅して回っているんじゃないだろうな?

「因みに、ミーアは認めたぞ」

後ろから走ってきた車のヘッドライトが、向かい合うイザークを眩しく照らしていった。

(__ああ、まただ)

彼がこんなふうに、ひどく思いつめたような目をするとき。
俺は彼のことがわからなくなって、少し苛立つ。

「彼女に、俺と男女交際の事実があるかどうか尋ねたのか?」
「『だったら何だ』と言い返された」
「……先に俺に訊いてほしかったな」

キラが聞き付けたら、また大喧嘩になりそうだ。
キラはイザークが意図的にミーアを傷つけていると憤慨するけど、俺は少し違う解釈をしている。
彼女が俺と付き合ってると嘘をつく理由なんてひとつしかないんだが、イザークはそれを拒絶するあまりに、最初から無かったことにしてしまっているのだ。

「彼女はおまえのことが好きなんだよ、イザーク」

"ソランジュ"の__というか、イザークにとってのタブーを口にすることに、ためらいはなかった。
手の中の缶の冷たさが血管を伝って心臓に流れ込んで、俺の良心まで凍らせてしまったらしい。

「バンドのメンバーは皆知ってるし、おまえだって、もうずっと前から気づいてるだろう?」

何も言わないイザークの視線が痛くなって背を向け、先に夜道をたどり始めた。
星は変わらず輝いているのに、何だか切なくて、空を見上げる気分になれない。

(どうして皆、うまくいかないんだろうな……)

ミーアは明るくて良い子で、彼女の恋人になりたがる男が他に大勢いるだろうに。
愛情はくれるけど、決して抱いてくれない男を好きになってしまって。

イザークだって、ミーアに恋愛感情を向けられると拒絶反応が出るくせに、セックスフレンドに選ぶ女性は、後腐れの無さそうなタイプばかりだ。
バンド活動に支障をきたさないためでもあるだろうけど、結局のところ、彼にとって誰よりも特別な女性はミーアであって、他の女性が割り込む余地が無いから、そんな行きずりの交際しかできないんじゃないだろうか。

「……けど、最近はおまえも、週替わりのガールフレンドをぱったり作らなくなったよな。何か心境の変化があったとか?」

ふたりがくっついてくれるのが、たぶん、誰にとっても最善なのだ。
イザークがミーアを何とかしてあげられさえすれば、”ソランジュ”の足を引っ張る問題はあらかた片付くと、キラは口癖のように言う。

後ろを歩く足音がしなくなったので、仕方なく振り返った。
イザークは数歩離れたところで立ち止まって、困惑したように俺を見ていた。
彼は幾らか低い声で言った。

「俺がおまえを好きってことも周知の事実なんだが」



オレガオマエヲスキッテコトモ



まるで異次元から取り出された言葉に吃驚して、咄嗟に切り返せなかった。
いっそ聞こえなかったことにすれば、と思いつくまでに、不自然な間が空きすぎてしまって、時すでに遅しだ。

(……洒落にならない)

冗談を言うにしても、TPOを考えて欲しいんだが。

「アスラン?」
「__え。………ああ、うん、聞こえた…」
「……まさかとは思ってたが、本当に気づいてなかったのか」

イザークは、次の行動を決めかねるように黙りこくってしまう。
だけどそれはつまり、前言を撤回するつもりも無いということで__。
何とも気まずい、沈黙が流れた。

(……どうしよう)

一台の車が通り過ぎ、その走行音が遠退いて、また静かになった。

「………イザークって、…」
「俺がゲイかって? ああ、そうなんだろうな」
イザークは陰気な顔で認めた。「男と寝たことはないが、確かにそういう意味も含めて、貴様が俺のものになってくれたら死ぬほど嬉しいのにと四六時中考えてる」

『死ぬほど』__?

ぽかんとして、イザークの仏頂面を眺めた。

「……あ、いや、俺は『イザークってもしかして自分から告白したことないのか』って訊きたかったんだけど…」

意外だった。
いつもは、あんなに慣れた手つきで女の子の肩を抱き寄せている彼が。
憂鬱そうに自分の気持ちを伝えるだけ伝えて、俺の出方を待ってるなんて。

悪かったな、とイザークは恨めしげに俺を睨む。

「最初からフラれるとわかっている相手に告るのは普通の倍も難儀なんだ。……クソ、これだから言いたくなかったのに」
「……どうして?」
「貴様に正面からフラれたらまた腕の良いキーボーダーとドラマーを探さなきゃならないし、こんなふうにふたりで帰ったりもできなくなるだろうが」

……ええと。
それはちょっと、極端すぎやしないだろうか。

「付き合わないと、今までみたいに友達でもいられなくなるのか?」
「普通はどうか知らんが俺には無理だろうな。フラれたってすぐには貴様を諦められないし、俺の気持ちを知っていようがいまいが貴様は無自覚・無防備・無頓着だから、振り回されるのが目に見えている」
「……」

投げやりな調子で決めつけられて俺が少々頭にきているとも知らず、イザークはさらに言った。

「俺は今まで何度か気づくチャンスを作ってやったつもりだぞ。それでも貴様の態度は変わらなかったから、ちょっとは俺に気があるのか、天然記念物級に鈍いかどっちかだと思ってたが、どうやら後者だったってことだな」
「……さっきから告白されてるんだか貶されてるんだか、よくわからないんだけど、」

鈍い云々はこの際、置いといて。
俺の立場からすると、いい友人になれたと思っていた相手に突然『おまえを好きになったからもう仲良くできない』と一方的に通告されて、ショックを受けている真っ最中だ。
何を勝手に頭に血を上らせて、失望して、話を畳もうとしているんだろう、この男は?

「要は、俺たちが付き合ったら今までどおりなんだな」

イザークは俺の正気を疑ったようだった。

「……おい。俺の話を聴いてたのか? おまえのことが好きだと言ってるんだぞ。今までどおりの関係じゃ我慢できなくなったから告ったんだろうが」
「でも、付き合わないと一緒にいられないんだろう」
「それはそうだが…」
「じゃあ、付き合う」

今は、彼の言った意味をあまり深く考えないことに決めた。(実際、たいしたことじゃないような気がしたし。)
俺はイザークといるのが楽しいし、彼が見据える未来をほんの少しでもいいから共有してみたい。
こんなことでこのポジションを失ってしまうくらいなら、彼の望みどおりにしてしまえばいい。

喜ぶかと思ったのに、イザークは難しい顔をしたまま、すぐには何も言わなかった。
彼はまだ怪しんでいるらしく、俺の意思を確認するようにゆっくりとこちらに近づいた。

「……アスラン、本気で言ってるのか?」
「そのつもりだけど、まさかこれって、噂に聞く『ドッキリ』?」
「……んなわけねーだろ」
「でも、イザーク、『死ぬほど』嬉しそうには全然見えない」
「あれは言葉のあやだ」
「え」
「……バカ。嬉しいに決まってるだろ」

ようやくイザークが笑ってくれて、俺はほっとした。

「嬉しくて心臓が止まりそうだ」

(__あ、この顔、いいな)

俺はただ、イザークが笑ったり拗ねたり怒ったり、表情豊かなのを、誰よりも近くで見ていたい。
一見クールで、怒ってないときは口数も少ないのに、そばにいると、彼の考えていることが手に取るようにわかる。
感情の温度が、空気を介して伝わってくる。
肌を焦がすほど熱かったり、刺すように冷たかったり。
俺は、あらゆる感情の起伏を内側に抑えることを是として育てられた。見兼ねた母は俺に音楽を教えたけど、早くに死んでしまって。
刹那的に感じたことをどうやってアウトプットすればいいのか、未だにわからないときがあって、そのまま諦めてしまうことも多い。
でも、同じような生まれにもかかわらず反逆的で、自分の気持ちに素直なイザークと一緒にいると、悩むことなんか何も無いような気がしてくるのだ。

そんなことを考えていたら、イザークの指先がそっと、俺の耳の下に触れた。
……ああ、キスするんだ、と思いながら、目を合わせる。

「好きだ、アスラン」

間近に見つめる青い目は、えも言われず優しい。
ぬるま湯に包まれるように、からだの芯がふわりと温かくなった。

(……あれ……?)

この感じは____何だか、マズい。
足もとがぐらついて、空の星が流れるみたいで、すごく変だ。
土壇場で『待った』をかけたくなったが、引き寄せられた体は金縛りにあったように動かない。

「__イ、ザーク…」
「嫌か……?」

イヤなのは、この得体の知れない、ふわふわした感覚のほうだ。
けれど、今さら怖くなったなんてとても言えなくて、気力をかき集めて答える。

「そうじゃなくて……おれ…」

言い終わる前に、唇が重なってくる。

俺もおまえのことがけっこう好きみたいだ__と伝えるのは後回しにして、目を閉じた。
思い切って、初めての感覚に逆らうのをやめて、身をゆだねてみる。
そうしたらずっと楽になった。

イザークはキスも上手だ、と何処かで思ったのか、声に出したのか。
頭の中がじんと痺れて、蕩けるようで、思考がまとまらない。

俺の手はイザークのコートにすがり、取り落としたココアの缶が、制服の裾と靴に中身を振りまく。
横を走り過ぎる車のライトが、全てを明るく照らしていく。
ミーアがこれを知ったらどう思うかという後ろめたさも、ちらりと意識を掠めた。
でも、この腕に強く抱きしめられているから、他の何もかもが、今はどうでもいい。

こんなキスも、こんな夜も。お互いのことだけ見ていられる時間は、とても短い。
いつかは、子どもでいられなくなる。それぞれのいるべき場所へ戻っていく。
__だから俺たちは、永遠を口にしないだろう。

それでも、この気持ちに気づけてよかった。

(そばにいるあいだは、おまえの欲しいだけあげる)

その代わり今は、何も考えられなくなるくらい、きつく抱いていてくれないか。