23 -Miguel-

__『お砂糖とスパイス、ステキなものぜーんぶ。そういうもので、女の子はできてるのよ』

俺には姉が4人いる。
イベリア半島出身の母と、彼女の豪胆な性格をそっくりそのまま受け継いだ姉たち、そして陽気な従姉妹たちに囲まれて俺は育った。
待望の男児だったので、母と年が離れた上の姉3人は俺を可愛がったが、いちばん下の姉はそれが面白くなかったらしい。
小さい頃、彼女__コンスエラは年の近い従姉妹と結託し、何かにつけて俺をからかい、仲間はずれにすることを生き甲斐にしていた。

『あんたは男の子だからダメ。ぼろ切れにカタツムリがお似合いよ』

俺は彼女のお気に召すままに従った。
たぶん、母の胎内に宿った瞬間から、アイマン家の女たちに決して逆らってはならないという生存本能を備えていたのだろう。

ともあれ俺は、裕福な家庭に生まれた末っ子として程ほどに放っておかれ、程ほどに甘やかされて大きくなった。勝手に与えられ愛されることに、何の疑問も持たなかった。
共学の公立学校に通える歳になってもあまり状況は変わらず、クラスの大抵の女子生徒は俺と仲良くなりたがった。
なるほど女の子という生き物は自分と違って、甘くていい匂いのする何かでできてるのだと俺は思った。
総じて、初等部低学年の男どもは女の子ほど利発にもきれい好きにも見えないので、コンスエラが蔑んだのも無理はない。
だからといって自分より弱い奴をイジめたりしないのが、俺が姉とは違うところだ。
俺のファミリーネームに反感を持つ奴らもいたが、ゆめゆめ学校で問題を起こすなと親父に言い含められていたので、俺は高等部卒業までの12年間、(少なくとも表向きは)公明正大な模範生を貫いた。

家業を恥と思ったことはない。
親父は善人ではないが、根っからの悪人でもなかった。恩義のあるザラ家のため、また一族のためなら汚れ仕事を厭わないが、母を、家族を愛し、社員の家族の面倒まで見る一面もあった。
一族の人間は、母や姉を始め皆明るい人柄で、自分たちのルーツを誇りとし、固く結束していた。
俺が12歳のときには、上の姉のひとりはすでに親父の民間軍事会社の役員で、もうひとりの姉はアイマン家の顧問弁護士を婿に迎えていた。
その頃から親父は、将来的に会社のクリーンな経営を姉たちに任せ、ザラ家の案件は俺だけに引き継がせようと考えていたようだ。

ザラ家は、ディセンベルに本社を置く"ゾディアック・アライアンス"_通称ZA_の創始者の一族である。
元は戦闘機メーカーからスタートし、現在も世界有数の軍需企業として知られるが、旅客機から衛星や宇宙船まで、あらゆる航空宇宙機器の開発と製造を手がけている。傘下には軍用ロボットの開発を進めるMMIや、通信会社、ライフサイエンス研究所、独自の宇宙開拓事業部などを収め、文字通り我が国の経済成長を牽引してきた巨大企業だ。

そのZA社のトップに君臨するパトリック・ザラ氏に、当時10歳になる嫡男がいた。他にきょうだいはなく、学校にも通わず、その年に母親を亡くしたばかりだった。
ソイツの面倒を見るよう親父に言われたときは、正直『何で俺が』と思った。
中等部に進んで体格も大人と変わらなくなった俺は、自分の力を試すことに忙しかった。仲間を集めたり、ストリート・ギャングの縄張り争いに参戦する計画を進めたり。
だいたい、男に生まれたがために姉たちとは違う人生を歩まされる上、ガキのお守りまで押し付けられるなんて、損な役回りだ。
ザラ氏に俺を『遊び相手』として推薦した親父の顔を立てつつ、適当なところで逃げ出そうとか、アスランに会う前はそんなことを考えていた。



***



「おまえ、いつからコンサートに行くほど"ソランジュ"のファンになったの?」
「……他に誘う人間がいないって言うから」

シンが席を離れた隙に、アスランは俺が切り分けてやったミートパイの半分をシンの皿に移していた。

「こら、ちょっとは肉を食え。ここのバスティラ、けっこう美味いぜ」
「食べてるよ。でも量が多い」

店に入ってからずっとだが、アスランは俺と目を合わせないで答えた。

「どうだか。マイウスじゃロクなもん食ってなかったんだろ。ヴァシリーに聞いたぜ、キッチンに包丁が無かったって」
「包丁が無くてもパスタくらい茹でられる。目につく場所に刃物を置きたくなかったんだ」

それは、半分は本当だろうが、半分は言い訳に聞こえた。

「そういうアレは治ったんだろ」
「良くはなってるよ。でも予防するに越したことはないから。……知ってたか? ヴァシリーは料理が上手いんだ。あんなごつい体なのに手先が器用で、ジョージアの郷土料理をたくさん作ってくれて」
「もちろん知ってるよ。おまえに栄養補給ゼリー以外のもんを食わせるためにアイツを付けたんだぜ」
「……やっぱり」
「だっておまえ『超集中モード』に入ると平気で丸2日は食べねぇしさ。おまえの食事の心配をしないで済んだのは、おまえがイザークと付き合ってたときくらいだ」

アスランは少し周囲を気にしたが、店は色んな話し声で騒がしく、俺は構わず続けた。

「アイツの焼きもちにはうんざりしたけど、おまえに毎日2食以上きっちり食事をさせてた点は素直に尊敬する。エシカルフードだのグルテンフリーだの……健康志向だよな、元カレは。ロックミュージシャンの癖に」
「……煙草をやめられなかったら意味ないと思うけどね」
「いや、禁煙も成功したんだろ。俺がスタジオで吸うと嫌な顔してたじゃん」
「アイツ葉巻は苦手だから…」

アスランは口を濁して、ミートパイを細かく切り始める。
さすがに元カレの話題は居心地が悪いらしい。

(__ま、これでも人間らしくなったほうか)

昔に比べれば表情豊かになったし、パッと見てただの学生に見えないこともない。(ただし未だに、人前で『普通にする』ために、頭の中のスイッチを切り替える必要があるようだが。)
出会った頃のアスランは、学校にうじゃうじゃいる男どもとはちょっと同じ生き物に見えなかった。かといって、ひたすら甘ったるいものでできた女の子たちとも全く違っていた。
__まるで、神様が手間隙をかけてこしらえた特別製の子どもみたいだった。

あれから10年以上経っても、華奢で、静かなところは変わらない。
今でこそコイツの常時『省エネモード』にも慣れたが、最初は余りにも無口で、人間に無関心なので難儀させられた。
おそろしく頭のいいヤツは案外寡黙だ。しかも、コイツは根がおっとりした性格なので、ときどき、命の気配がしないくらい静かになる。
シホならもっと詩的な表現を使うだろうが__俺はコイツに会うたびに何か食べさせなきゃいけない気になり、コイツが笑い方を覚えているかどうか、つい確認してしまうのだ。

不動産屋からの電話が長引いているのか、シンが戻ってくる気配は一向になく、俺は訊くべきことを訊いておいた。

「おまえ、シンとは寝てないよな?」

アスランはその冗談を笑い飛ばすどころか、実に冷ややかに俺の顔を見た。

「寝てたら、『元カレ』のコンサートになんかついて行かないだろ」
「それなんだけど。アイツ、本当に何にも知らないのか?」
「当たり前だ。シンとはたまたま知り合ったって言ったろ」
「『たまたま』ね」

俺の言い方が気に障ったらしい。アスランは細切れにしたパイにフォークを突き刺した。

「そろそろ本題を言えよ、ミゲル」
「本題か? そうだな、本題は__イザークがおまえと会いたがってる。おまえもこんな回りくどいことをするくらいなら、さっさと会いに行って、お互い言いたいことを全部言っちゃえよ」
「回りくどい」
アスランは抑揚のない声で繰り返した。「シンが俺をコンサートに誘うように、俺が仕向けたと思ってるのか?」
「さあ、そこまではどうかな。……だけど、たまたま汽車で隣り合った赤の他人におまえが連絡先を教えたのは、ソイツがイザークをリスペクトしてたからだろ」
「……シンがベーシストだったからだよ」
アスランは俺の指摘を一部認めた。「イザークは関係ない。スティングとアウルがいなくなったら、さすがにもう無理かなと思ってた矢先だったから。シンは曲も書けるし…」
「関係ないどころか、イザークがすべてじゃねえか。元々おまえは音楽は遊びとしか思ってなかった。おまえはただ、イザークとの繋がりが完全に切れるのが怖いんだよ。だからスティングたちを利用して、次はシンを巻き込もうとしてる」

知り合ってまだ1時間だが、シンが純粋で気のいい人間だということはわかった。そしておそらく幼少期に起きたことが原因で、心に大きな傷を抱えていることも。
そういう種類の人間は、特にアスランの陰に引っ張られやすい。……心の安らぎを求めているのかもしれないが、傍から見れば、飛んで火に入る夏の虫だ。

少しは巻き込み体質に自覚を持って欲しいものだが、アスランは納得いかないように訊いた。

「……俺に助けを求めてきた彼らをまた施設送りにすればよかったのか?」
「少なくとも、おまえには何の義理もなかった。なのにアイツらを助けたのは、いつか自分がイザークを捨てるとわかっていたからだ」

アスランは聴くに堪えないと言ったふうに首を振り、話を戻した。

「とにかく……イザークとは会わない。アイツは俺に怒ってるし、俺もアイツの顔を見たらどうしても感情的になるし、話し合いが殺し合いになったらミーアたちが困るだろ。俺、イザークより強いし」
「……わかったよ、サーシャ」

2年前、コイツが本当に捨てたかったのは、俺のほうだったろう。俺の属する場所、彼の父親、そして彼自身が身を置く世界、それらすべてを捨てて、イザークと生きるほうを選び取りたかったはずだ。
けれどアスランは俺たちを捨てられなかった。代わりに、少し距離を取り、俺を避け続けた。
それでも、こうして会いに来た俺をコイツは拒まない。俺に怒りをぶつけるわけでもなく、心を閉ざすわけでもなく。ただ俺の立場を受け入れる。
俺の人生に責任を負う者として。

「会いたくないなら会わないでいいけどさ、イザークに自分でメールしろよ。俺が間に入るのは、アイツも面白くないだろうし」
「……メール…」

アスランは如何にも気が進まない顔で、「考えておく」と言った。

「考えなくていいから、実行しろ。俺は明日、ヴァシリーとディセンベルに帰るよ。後任にはレイを呼んだから」
「ええ……?」
前からレイを苦手としているアスランは予想通り、露骨に嫌がった。「冗談だろ、ミゲル。彼と一緒に住めって言うのか?」
「今ごろヴァシリーから引き継ぎを済ませてる頃だ。レイは優秀なボディーガードだよ。おまえに感情移入しすぎて俺への報告を怠ることもないし」
「……確かに彼なら、テロリストかスパイに拉致された俺の頭を喜んで撃ち抜きそうだ」

アスランが仏頂面で言ったとき、ようやくシンが戻って来るのが見えた。

「おー、えらく長電話だったな。住むところは見つかりそうか?」
「あ、はい、とりあえず明日、何件か内覧することになって…」

何やら落ち着かない様子で、シンはポケットを探り、くしゃくしゃの紙幣を取り出す。

「ってか、ごめんアスラン、俺ちょっと用事ができたから先に」

帰る、と言いかけたシンの手首を、アスランが無言で引き留めた。
が、握る力の加減を間違えたらしく、シンの口から悲鳴が漏れた。

「あ、すまない。話したいことがあるから座れよ」
「え? ……いや、でも…」

シンは戸惑って俺を見る。適当に口実を作って帰ってくれと頼んだのは俺だからだ。
どうやら完全に『自己中モード』に入ったアスランは、苛立ってシンを引っ張った。

「座れ」
「……はい」

シンは気圧されて腰を下ろす。(頼り甲斐のないヤツだ。)
呆れている俺の前で、アスランはシンに尋ねた。

「結局ダウンタウンにしたのか?」
「わかんないけど、たぶん。この際、安くてバスタブ付きで、すぐ住めるとこなら治安は妥協していいかなって。どうせ練習とバイト三昧で、寝に帰るだけだし」
「バスタブ……?」
「風呂好きだから、俺」
「……その条件を満たして、かつセキュリティ万全な物件にひとつ心当たりがあるんだが、興味あるか? ただし、他に同居人がいるけど」
シンは大きな目をパチパチさせた。「シェアハウスってこと? 楽器OKなら、俺は全然平気だよ」

(あーあ)
この後の展開を知りたくなかったので、俺は目を覆う。

アスランは涼しい声で、俺の危惧したとおりのことを言った。

「だったら、うちに来いよ、シン。今夜からでも構わない。ちょうど寝室がひとつ余ってるから」